母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

自由の身

今日は夕方に、ふらっと散歩に出かけました。
あまりにも気が重いので、ちょっと気分転換しようと思ったからです。
すると空には下から上まで巨大な入道雲が。
まるで山のように大きく、夕日の中で白く輝いていて。
ところどころピンク色やオレンジ色になっていました。
あまりにも美しかったので、それに吸い寄せられるように、あてもなく歩いて行きました。
すると自分の大好きな公園の方向に向かっていることに気づきました。
そこで公園に行ってみることにしました。
雲もだんだん日が落ちてきているので灰色っぽくなってきていましたが、上の方はあざやかなピンク色でした。
なんてきれいな空だろう。
イルカが泳いでいそうな。
夕暮れの空ってこんなにきれいだったんだ。
きれいな空を見るといつも思い出させられます。
毎日あることなのに、こんなに美しいということをいつも忘れてしまうのです。
だからふと空を見上げると感動する。
公園につきました。
この公園はとても広くて、緑が多くて、すごく気に入っています。
この地域で一番好きな場所です。
小高い丘の上に二つベンチがあって。
そのうちの一つには先客の女性がいて座っていました。
ああ、ここは彼女の癒しの空間でもあるんだな。
お邪魔しちゃうのは悪いけど仕方ない。
私が隣のベンチに腰を下ろすと、間も無く彼女は行ってしまいました。
やっぱり恥ずかしいのかな。
一人でたそがれてるところを見られるのは恥ずかしいのです。
その気持ちが私にはわかります。
私は辺りを見渡していました。
あの入道雲と、遠くの街の灯りと。
ここに座っていると、風が体に吹き付けます。
涼しいけど、どこかまだ日中の熱をはらんだような、寒すぎなくていい風です。
風が草の中を吹き抜けて。
海辺にいるのと感覚が少し似ています。
草のさざなみが潮騒のようで。
太陽は私がきた方向に沈んで行きました。
どうやら私は太陽から離れて行ってしまったようです。
雲が多く、太陽は見えませんでしたが、
夕日の沈んでいく空の色の淡いグラデーションが見えました。
雲の間に一番星が。
私は思わず願いをかけました。
インターンシップに行かなくてすみますようにと。
しばらくそこに座って、ただぼーっと風の音を聞いて風を体に感じていました。
こうしているときが私は一番癒される気がします。
静かで、豊かで。
そのままずっとそこに座って星が見えるまでいたかったんですが、
私はあいにく半袖できてしまって、上着を持っていなかったのでさすがに寒くなり、
帰路につきました。


家に帰って、夕飯を食べた後に電話がかかってきました。
インターンシップに行かなくて済むことになりました。
担当の方は結構怒ってそうで、話終わった後に電話を即切りされました。
でも私としては確実な勝利です。
今日来る電話にどうやって返そうかと一日中ずっと考えてたんですが、
まあ何も説得されることもなく、なんとかなりました。
他のインターン生がかわいそうですね。
朝8:30出社は早すぎますよね。
満員電車で通勤して給与なしで意味のないことを毎日8時間やらされる大学三年生の夏休みの2週間なんてたまったもんじゃないです。
しかも人事担当者は電話をすっぽかすし、緊急連絡先を聞き忘れてメールで聞き出そうとしたし、
この企業はちょっとダメですね。
大企業ではありますが、やっぱりダメですね。
いやー行かなくて済んで本当嬉しいです。
これから2週間何をしよう。
自由の身です。
卒論のための本をもっと読んで、
あとプールにも行こうかな。
明日はプールに行こう。お祝いです。
行こうと思えば海外旅行もいけると思いますが、
正直ゆっくりしてたいので、やめときます。
国内旅行も、いつも関東近郊だと帰宅困難になるので、あまり気乗りしません。
むしろ沖縄とか、飛行機で行くような所に行った方がちゃんと帰れるのかもしれないですね。
でもハムスターを移動させるのがかわいそうなので、多分遠出はしません。
この2週間は本を読むのに使いたいと思います。
編入に関しては、迷ってます。
このまま卒業して大学院に進んだ方が将来設計が立てやすいので。
他の大学に編入すれば学費は最低でも300万ぐらいかかるし、
留学するともなればそれ以上かかります。
そこからさらに大学院に進むとなれば、終わる頃には26ぐらいになります。
別に悪いことじゃありませんが、
今このまま大学院に進む方がスムーズなのは確かです。
あとは今まで全くやったことのない分野なので、ちょっとそこが不安ですね。
少なくとも24歳で修士が取れれば、専門学校とかの教員のバイトに応募できるようになります。
そこから就職するか博士課程に進むか決めてもいいと思います。
どちらにしても、とりあえず自分の好きなことをやってみることが大事ですね。



心折れそう

今日は、インターンシップの初めの日でした。
希望した部署と内容が全然違ってびっくりしました。
朝がすごく早いのと2週間もあって長いのと給料が出ないのとで、辞退したいと思いました。
先ほど人事の人にその旨の電話をしたら、相談してからあとで返してくれると聞きました。
今日は本当に辛かったです。
こんなに辛かったのは久しぶりです。
しかも「これから2週間お世話になります」的な挨拶をさせられて。
非常に気まずいですね。
しかも明日、歓迎会をやってくれるみたいなこと言ってたので。
もう私としては行く気がないんですが。
大学の方にはすごく迷惑かけるかもしれないんですが、
仕方ないですね。
帰りの電車では自殺を考えてました。
インターンシップ辞退すればいいだけの話のになんで自殺を考えちゃうんでしょうか。
今後自分の能力は活かせないと、悟ったことが一番きつかったですね。
諦めがつかないんですよね。
今までこんなに頑張ったのになんで評価してくれないんだって。
なんで報われないんだよって。
その理不尽さが頭の中で煮詰まって、自殺を考えるにいつも至ってる気がします。
それを、他のことをして誤魔化してるだけ。
その考え自体に答えは見つかってないから、いつもいつも同じ思考回路に陥る。
いつもいつも自殺を考えてしまう。
これじゃダメなの誰だってわかりますよね。
根本的なところを解決できていません。


苦労したから評価されるべきだ。

しかし評価されない

理不尽だ。

死にたい。


私の思考回路はこんな感じです。
これをどう変えるかというと、


周りの人が頑張ってる中で私は何もしなかった

評価されない

評価されなくても楽した分仕方ないや

与えられた環境でやっていこう。


という構造ができない限りは、私は一生苦しむことになります。
そうか、私は、休まなくてはならなかったのか。
自分の好きなことをする必要があったんだと思います。


私は今まで、自分のやってて好きなことなんて考えたことなかったです。
勉強・仕事をしてない間は何をしていいかわからなくて、ただ暇つぶししてるだけ。
まさに奴隷の生活ですよね。
私は、もし死ぬんだったら、せいぜい自由になってから死にたい。
自由に1年ぐらい生きてから死にたい。
でも自分の人生だ。父親に相談する必要なんて、何もない。
一年間も自由に使えたら、何しよう。
他の大学の授業受けにいこうかな。
いや、入り直そう。やっぱり。
前考えていた編入ですが、成績証明書をもらえるか学生課になるべく早く確認しに行きます。
まだ時間はあるはずです。
できれば明日か、明後日に行きたいと思います。
もし期間内に間に合わなさそうだったら、
大学受験します。
浪人したって構いません。
私は、やっぱり、休まないといけないんです。
自分の好きなことを一度でもいいからやってみないといけないんです。
今しかないんです。
今調べたら、大学のレベルは高くないのにすごく倍率が高かったです。
でもやってみるしかありません。
もしダメだったら諦めもつきます。
編入も受け続けながら、好きなバイトをしてフリーターやろうと思います。
私は今日痛感しました。
私は間違った世界に生まれてしまったのだと。
ここは私の来るところではないと。
私がしたいこと、それは海沿いに住むこと。
海洋系の勉強を日本の大学でして、海外に留学すること。
自分の能力を生かすこと。
好きな翻訳の仕事をすること。
私は、疲れない範囲で、夢を追い求め続けます。
なので来年のセンター試験受けてみます。
ノー勉でもいいので。
その結果をみながら、大学受験してみます。
ワーホリやってもいいと思います。
夏の間だけ語学学校に通ってもいいと思います。
今いる大学で必要単位を取ること自体に抵抗はありません。
大学の勉強自体は別に悪いことじゃないし、内容も面白いときだってある。
ただ私が抵抗あるのが、大学を卒業した後に、
普通の遊んでた奴らとか、人生で苦労してなかった奴らと同じように、
毎日満員電車に乗って(乗らなくても)その後四十五年間働きづめないといけないということです。
私はなんのために生まれたのか。
働くために生まれたのか。
苦しんで働いて死ぬために生まれたのか。
冗談じゃない。
私にだって幸せになる権利ぐらいあるはずだ。
そのために母親が死んで、遺産を残してくれたんじゃないのか。
私は本来若くて金があってなんでもできるはずなのに、
なぜ、なぜこんなに不自由なんだ。
不自由な生活に押し込もうとしてる社会と父親に負けるのか。
負けて自殺するのか。
そんなことさせてたまるか。
私の命は一つしかないんだ、
この一つの命を無駄にするわけにはいかないんだ。
私はたった一人しかいないんだ。
2000万あるんだろ。母親は使わずに死んだが、私も使わずに死ぬのか。


今、連絡がありました。
45分ぐらい人事担当者と話してました。
なんか、その間残業させられてる人事担当者の人が可哀想になりました。
とりあえず明日は私は休んで、その間にプログラムとかを考え直してもらうことになりました。
明日の歓迎会は出なくて済みそうです。
私は信念を固くもって、全日程参加しない方に持っていきたいですね。
でもこの採用担当者もすごく粘り強かったです。
なるべく参加させようとしてました。
「じゃー参加しないでいいです」って言えば
受け入れ先の人たちもそれだけ仕事が減っていいはずなのに。
なんでこんなに執着するんでしょうかね。
この人の評価がかかってるんでしょうね。
人事だから。


私は、会社で働くには向いてないんだとつくづく思いました。
というか、何もしたくないのが今の自分の状態なんだなと思います。
何もしなくてもいいから、したくない。
人間として当たり前ですよね。
残金が100万円ぐらいになるまでぶらぶらしてるのが正解なのかもしれないです。
お金使い切るのも大変でしょうけど。
やっぱり好きなことをやってればいいんですよね。
私の場合は文学でしょうか。
それにしか自分の能力を使いたくない。
金儲けのために存在してる組織に自分の能力を使いたくない。
こういう人間いてもいいと思うんです。
どうせ自殺するんだったら、好きに生きたい。
私は別の大学に入り直すか、そのまま卒業して院に行くかという候補で行こうと思います。
どうせ、大学卒業後普通に就職しても、
たとえ大企業でも、給与が良くても、自分の能力をフルに活かせる仕事には多分どこに行ってもつけません。
なら大学院行って能力を活かせる唯一の可能性にかけてみるしかないです。
たとえ結果としてダメでも、せめて挑戦はしてみるべきです。
方向性が定まってきました。




僻みっぽい私

先日の記事は物騒なことを書いてすみませんでした。
アクセス数が急に増えていたので、もしかしたらみなさん心配してくれてたのかなと思い、申し訳なく思いました。
今日、発見したことがあります。
もしかしたら、今まで悩んでいたことって、実は自分の性格の問題なんじゃないかという可能性に気づきました。
私は、自分ではあまり意識していませんでしたが、陰険で僻みっぽい性格であることに気づきました。
精神病院ではなんの診断もくだされなかったので、
自分はうつ病でもないし、
この人生で起こったことが異常なんだ、自分は正常なんだと、
信じて疑いませんでした。
しかし、今日あった出来事でその信念が揺らいできました。
今日は祖母と一緒に何回か行ったことのあるレストランに行きました。
そこは個人経営のところで、料理は美味しい代わりに接客態度はあまりよくないです。
私は、そこでメニューをみて注文しましたが、
待っている間に(待ち時間は他のテーブルのカップルが料理を食べ始めて食べ終わるまでの一部始終を観察するに足りました)
自分の頼んだメニューを後悔し始めたのです。
なんであっちにしなかったんだろう、祖母の頼んだやつの方がよっぽどいいじゃないか…
それに加えて、
なんでこんなに料理が出るのが遅いんだと、内心腹を立てていました。
しかし祖母の、「まだ料理のきてない人がこんなにいる」という一言で、
私はハッとさせられました。
そうか、自分たちだけじゃなかったのか。
実際運ばれてきた料理を食べて見ると、まあまあな味でした。
でもその待ち時間の間散々自分の頼んだメニューを頭の中でこき下ろしていたので、そうしなかったらもっと美味しかったのかもしれません。
そして祖母が食べきれない分をくれたので、私が「そっちにすればよかった」と思った選択肢も味わうことができました。
まあまあな味でした。どっちの方がいいとは言い難かったです。
私は自分の選択に自信が持てていません。
また、他人を非論理的なまでに羨み、自分と同じぐらい苦しんでいる人がいることに気がつかない。
そのために自分のした選択が悪くない選択だったとしても、その良さをだいぶ減らしてしまっている。
本来楽しむためのものが逆に辛くなっている。
私の人生もそうなのかもしれないと私は思いました。
この時私はどうすればよかったのかというと、
他にも待っている人がいることを認識した上で、
「まだ頼んだことのないメニューに挑戦してみよう」というその期待感を捨てずに、
待ち時間の間は楽しみにしていればよかったのです。
自分にとってはこれは絶対無理な話ですがね。
なので、こうすることが無理な以上、私はこれを気に病むことなく、
「自分はそういう性格なんだ」と片付け、
決して社会が悪いとか、自分のした選択自体が悪いとか、思わないようにしないといけないなあと思いました。
今の私は、待ち時間の状態なんだと思います。
社会人になって、「今までの努力の結果」という料理が出てくるのを待っている。
その待ち時間の中で私は爪を噛み、自分の頼んだメニューを後悔ばっかりしている。
ただ違いは、後悔をする論理的な理由があるというところですが。
でも、他のメニューが悪い論理的な理由もありました。
結局は、オーダーした当時はわかっていなかったし、
待っている今でも、どっちがよかったのかなんてわかりません。
ただ、自分は僻みっぽい性格だから、自分の選ばなかった方がよかったはずだと信じているだけ。
これはもう、考え方ひとつの問題でしかないんですが、
私は自分の考え方を変えようなんて思ってないし、変えることもできないと諦めています。
私の今後悔していることと、
今後後悔する全ての選択は、
もう言ってしまえば仕方のないことなのです。
僻みっぽい性格をしている以上仕方のないことなのです。
これはメニュー側に非があるのではなく、
私に非があるのです。
それを認めた上で、引き続き後悔をしようと思います。