母親を自死で亡くした私のブログ

母親は2017年5月に自死しました。残された娘の日記です。

寂しい

今夜は結構充実してました。
実家から本を何冊かもってきて、これも読みたい、あれも読みたいと心の中ではしゃいでました。
でも、なんかふと寂しくてたまらなくなりました。
自分はやっぱりダメだ。
子供の時からやり直したい。
優しいお母さんが欲しい。
お母さん代行サービスにでも頼もうかな。
ウェブサイトで見ていたら、お弁当を作ってくれて一緒に食べてくれたり、
恋人を説得したり、本当いろんなことをやってくれるみたいです。
なんか、悲しいですね。
もしこのサービスでお弁当作りを頼んだら、多分私の実の母親が作ってくれたどの弁当よりも美味しくてきれいで心がこもったものが出てくるんだと思います。
お母さんは料理が下手で。そして時間がなくて。
いつも食事は弁当箱に入っていて。朝昼晩と。
冷蔵庫に作り置きしてありました。
作り置きといっても、冷凍食品のクリームコロッケとか、スパゲッティとか、ハンバーグとかが適当に入れてあるだけなんですけど。
子供の頃からほとんど冷凍食品で育ったようなものです。
それを朝も晩も一人でレンジで温めて食べてました。
中学高校と。
やっぱり習慣っていうのはなかなか断ち切れませんね。
私は今もほとんど冷凍食品しか食べてないです。
普通だったら「こんなのダメだ!」っていう意識が働くのかもしれませんが、
私にとってはこれが普通だったので、なかなか「ダメだ」っていう意識が働かないのです。
本当は野菜とか食べなくちゃいけないんですけど、私は食べたいものしか食べたくないので。
なんか冷凍食品ってすごく自分らしい気がします。
普通に食事としての機能を果たすんだけど、
冷たくて、どこか味気なくて、孤独で、若い感じ。
母親のことを私はいつも若いと思っていたんですけど、
お母さんが若いと思っていたのは多分こういうところが理由だと思います。
コンベンショナルな母親じゃなかったというか。
母親だけど独身というところが彼女をなおさらキツい性格にしていたのかもしれません。
いつもパワフルで、とがった印象がありました。
ある意味パンクロッカーみたいな。
父親は結構保守的なので、もし二人が一緒にいたらいいバランスだったんじゃないのかなあと思いました。
私は今、結構保守的だと思います。
ただこの食生活っていうのはどうにも変えられなくて。
一時期高校3年の時に蕁麻疹が出るようになって、食生活を変えないとダメだということで自炊をしていた時もありました。
でも大学に入ってからは元の冷凍食品生活に戻ってしまいました。
私は高校生の時、弁当がコンプレックスだったんです。
私のだけ愛を受けていないような気がして。
友人のを見ると多少冷凍食品が入っていても、卵焼きは手作りだったりして。
私の弁当はコメを除けばほぼ100%冷凍食品でした。
まあ母親の手料理はめちゃくちゃまずいので、入ってない方がよかったんですが。
ただ、なんらかの形で愛を受け取りたかったなーと思います。
でももう遅いんですよね。
私は今後母親になることもないだろうし、愛情込めた弁当を作る必要性なんて発生しないと思います。
でも暇がある時に何品か作ってみて、アパートに備え付けの小さな小さな冷蔵庫に保存して、
この「愛母弁当」のシミュレーションをしてみるといいかもしれませんね。


私はやっぱり、母親に継続してひどい態度を取り続けたんだと思いました。
祖母と接する時に見せる優しさの10分の1も私は母親には提供できませんでした。
でも母親が怖かったんです。
母親が怖くて、憎くて仕方なかったんです。
その結果どちらかが死ぬことは確かだったんです。
私は絶対、自分が先に死ぬものと考えていました。
私は二回も自殺未遂したので。
でも結局折れたのは母親でした。
私は母親に「自殺しろ!死んで償え!」と言いました。
でも償うために死んだんじゃないと思います。
私が19歳でまだ未成年だった時に死んだので、法的なトラブルがものすごく多く発生しました。
私は当時思いました。
「ああ、仕返しだな」と。
「わざと私に迷惑をかけるために死んだんだな」と。
「このやろう。死んだ後でもお前の記憶だけは絶対に美化しないぞ」
「お前はいつまでも私を自殺まで追いやった人間のクズとして覚えておくからな」
私は未だにそう思っている節があります。
母親の書いた、ひどい暴言のメモとかを写真にとってあります。
それを時々みて、母親がやったことを振り返っています。
やっぱり許せることと許せないこととあるんです。
母親のしたことは、母親が当時どんなに追い詰められていたとしても、
許せないことなんです。美化できないのです。
こればっかりはどうにもならないのです。
母親が死んだ後でも、母親を愛せない。
母親の愛を振り返って感じることができない。
私は今後一生母親を、そして父親を奪われた生活をすることになります。
なので、普通に両親の揃ってる幸せな家庭の奴らが私にとやかくいう資格はありません。
私はゼミのそういう奴らが憎くて仕方ありません。
私が私立の小学校に通っていたというだけで金持ち、苦労を知らない人みたいな扱いをしてくる奴らが憎くて仕方ありません。
でも私は気軽には本当のことを言えません。
こんな重い話をあまりよく知らない人たちにするわけにもいかないので。
なのでこの人たちはいないものとして扱います。
もう飲み会にも出ません。
連絡も取りません。
私は今後誰にも理解されず、たった一人で生きていくことになると思うので、
今のうちから他人との距離感をうまく保つ練習をしようと思います。




宣言

私はここに宣言します。
私は幸せになってやると。
ゼミの人たちの考える「幸福」に関係なく、
ゼミの人たちが、世間がなんと言おうと、
私は人間らしい生活をして、毎日幸せに生きてやる。
私はお前らよりスタート時点から恵まれていたし、かつお前らよりも能力があるんだ。
いつも暗い話しかしない先生なんてこれっぽっちも尊敬していないんだ。
私は卒論を自分の満足のいくまで頑張るし、就活でも自分が信頼できる場所に入ってやる。
おどおどしながら他人の理想を実現しようとしてる、卒論をごまかして書こうとしてる惨めでノータリンなお前たちとは違うんだ。
ざまあみやがれ。
私はね、言っとくけど、絶対に大丈夫なんだよ。
私は何があっても、絶対大丈夫なんだ。
なぜかって言うと、私は自分が大切だから。
大切な自分を守るためになら私はなんだってする。
自分を守るためなら裁判も起こすし、転職だってする。
それぐらい私は自分が大事なんだ。
嫌な状況にはもう我慢しないし、
私は好きなこと、やりがいのあることだけやって生きていく。
私は私の気にいる人間でいられればそれでいいんだ。


現在、私は私の気にいる人間なんでしょうか。
気に入ってますね。
私は自分のことを実は気に入ってます。
今までの人生本当によくやってきたなあと思います。
ついに母親との根性比べに勝ち、その賞品はこの素晴らしい一軒家での一人暮らしであり、これからの人生の自由です。
本当に、よく頑張ってきたと思います。
でもそうじゃないと、母親との地獄から逃れられなかったと思うので。
私のこれまでの人生の功績を考えます。


1. 親の勝手で義務教育から逸脱させられていたのに、自殺未遂をしながらも勉強を頑張り、塾にも通わずちゃんと現役で受かったこと。


2. 大学一年生の時に授業に全くついていけず、自主退学しようとしたものの、結局は大学に残り、ちゃんと授業を受け続けたこと。
他の大学に入り直すことを考えていましたが(理系の大学です)、結局はここでやってることが楽しかったので、ここに残っても、他の大学に入り直しても、同じだったんだと思います。


3. こんなにハードな大学で今まで課題やレポートや試験をこなしきれてきたこと。
本当、高校の時が易しく見えるぐらいハードです。
こんなにハードだと思ってませんでした。
しかし、「楽勝学部」に入らなくてよかった気はなんとなくします。
私はこの「なんとなく」って言う感覚を大事にしていく必要があると思います。
だって、「なんとなく」に私の本質があるわけだから。
この「なんとなく」の好みが、私を定義づけるものだから。
私は今後絶対に、私を否定しません。
他人になんと言われようと、私は私の感覚を全面的に肯定します。
私は他人に嘲笑われようと、非難されようと、常に自分の味方でいてあげることを誓います。
私の核心は言ってみれば、今日動物病院に連れて行ったハムスターみたいなものです。
小さくて、怯えていて。
私はその子を、なんとしてでも守ってあげなければなりません。
その小さくて、怯えている、かわいいハムスターみたいな自分を攻撃するやつは誰だろうと許せません。
自分が攻撃するのはもってのほかです。
私は、今日したように、その子をケージごと抱きしめて、
その子がちょっとしたストレスで死んでしまうことを踏まえながら、
注意して、その子の幸せのために尽力をすべきです。
その子の嫌がることは、やらせるべきではありません。
その子のやりたいことだけで、十分に生きていけるはずだから。


私はこれから、精神的な耳栓をする必要があると思います。
マイナスなことを言ってくる人をブロックアウトするために。
「あーはいはい、またいつものあれね」って感じで受け流せるようにならなくてはなりません。
私は今まで受け流すってことができなくて、母親の吐いた毒のある言葉も、全てそのまま受け取っていました。
だからあれだけ鬱病状態みたいになってしまったんだと思います。
ゼミはその面でいい練習です。
「いつものあれね」「バーーカみたい」で片付けられるようになる必要があります。


私は自分を無条件に受け入れることを誓います。
私が私でいられるために必要なことはなんだってします。
他人の価値観を押し付けられても、聞き入れません。
私の価値観が世界一大事で、世界一正しいからです。

実家に着きました

家に着きました。
着いたらやっぱり家の中は暑くって。
屋根裏部屋の冷房をつけてきました。
今は祖母の部屋にいます。
約束通り、プランターの植物に水をたっぷりやってきました。
改めて見るといつの間にこんなにいっぱい植えていたのか、とびっくりしました。
1.5Lのジョウロを3回空けてちょうどぐらいでした。
加減がわからなくてたっぷりやりすぎたのかもしれませんが。
でも植物に水をやると、何だか心が落ち着きました。
エヴァンゲリオンでも加地さんがスイカに水をやるシーンがありますよね。
沈みゆくタイタニックで演奏を最後まで続けた楽器演奏者たちに通じるものを感じます。
3月以降、もし実家に戻った場合は、
とりあえず祖母が死ななくても粗大ゴミを捨てようと思います。
今も母親の下着とか、母親の残したものをゴミ箱に入れてきました。
ゴミ箱に入れただけでまだゴミ捨て場には持って行っていないんですが、
これだけでもスッキリしました。
祖母の部屋に入るとなぜか母親の遺影が普段は見えるようになっていないのに、立っていてムカつきました。
この遺影私は大嫌いなんです。
生きていた時の母親の顔と全然違って。
写りが悪かったんでしょうが、全く知らない他人のような、気味悪い感じがするのです。
もし祖母が亡くなって私がここで一人で住むことになったら、まず一番先に捨てるのは仏壇ですね。
叔父の家に引き取ってもらうか、それがダメだったら捨てようと思います。
全く気味が悪いので。
他に祖母がかき集めたゴミを全部捨てます。
壊れてる家具も全部捨てます。
どんなに綺麗になることでしょう。
ただ壁紙がめちゃくちゃ汚いので、これはもう張り替えようと思います。
壁紙を張り替える時は、全て打ちっ放しコンクリート風の壁紙にしたいです。
この家を改めて見ると、結構いい家だなと思います。
勤務地が遠かったりしたらダメですが、ここで暮らすのも悪くないと思いました。
母親の住んでいた部屋を物置にして、私は一階で暮らせばいいのかもしれません。
綾波レイの部屋を再現できますね。
ここで、打ちっ放しコンクリート風の部屋に住めたら、もう言うことはないですね。
普通のマンションで打ちっ放しコンクリート風のところを探しても、なかなかないので。
固定資産税も、30万以上にはならないと思うし、今のアパートの家賃よりもひょっとしたら安上がりかもしれません。
やっぱり私って恵まれていたんでしょうか。
自分が恵まれているとは今まで全く思えなかったのですが、
少なくともかけてもらった学費の額とか、この家だけを見れば、かなり恵まれている方だと思います。
この家に住めるんだったら、別に無名な会社で一生働くことになっても構わない気がします。
やっぱり私はお金使わないので。
みんなは私の実家みたいな家を買うためにあくせく働くわけですから。
それをしなくていい分私は快適に、ワークライフバランスを充実させながら20代を過ごせるわけです。
別にこの家がなくても私は快適に20代を送りたいと思っています。
ちゃんと定時で帰って、人間にふさわしい人生を送りたいと思います。
一生一人でもワンルーム住みでも構わないので、ちゃんと人間らしい生活を、
今までできていなかった分、これから楽しみたいです。
実家の付近の、転勤の心配がない小さな会社に就職するのもいいのかもしれません。
もしかしたらそれが一番幸せになれるのかもしれません。
仕事のやりがいも、仕事の内容ではなく、多くの場合そこにいる人たちが大事なので、結局業種は関係ないのかもしれません。
就活も楽、将来も楽と。
ゼミの先生は日本に未来はないとか言ってましたが、彼はビジネスのスペシャリストでもなんでもないし、やっぱり日本の企業同士の繋がりは強いはずです。
むしろ専門外のことをあれだけ批判できる先生の神経を疑いますね。
先生は優しいけど腰抜けだし。
生徒はどいつも取り立てていいところがないし。
強いて挙げれば編入で入ってきた女の子たちが、素直だし、仲良くできそうだしいいかな。
1年からいた奴らは私のことがあんまり好きじゃないみたいです。
私も彼らに関してはなんの意見もないので、
多分卒業したら音信不通になると思います。
私ってつくづく性格悪いなあと自覚させられますね。