母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

墓標以下

今日学食で一人で食べてたんですが、ふとした拍子にご飯をこぼしてしまい、隣の人の服に少しシミがついてしまいました。
私は平謝りでクリーニング代を出すと言ったのですが、「そんなのいいです」と言われたので、これはラッキーと彼女が気を変える前に急いでその場を離れました。
今思うと最低でも五千円、一万円は出すべきだったと思います。
その時の所持金は四千円だったのですが。
私が彼女だったらそんな寛大になれたでしょうか。
おそらく「これはチャンス」と搾り取れるだけ取ろうとしたと思います。
彼女は友達3人といたので、そういう行為に出づらかったのもあると思います。
これは運が良かったですね。
その時こぼしたのはトマトソース系のおかずだったのですが、
私の上着にも赤い血痕のようにシミがついて、
遠く離れたトイレのシンクで洗いながら、
「運命に被弾したな」と思っていました。


今、私は自分を死に至りしめることのできる大きな器具と同居しています。
死ぬために通販で買いました。
おかげで居住スペースが減りましたが、
よけながら日々洗い物をしたり、
時々それに腰掛けたり、着替えの服をかけたり、
考えてみるとなんか面白いですよね。
死との共存。
一応部品を買い足さないとこれで死ぬことはできないのでまだ未完成なんですが、
私の人生でもっとも重要な役割を担うものなのに、扱いは割とぞんざいです。
私は運命に逆らって生きていくことができるのか。
私は本当はもっと早く死ぬべきだったと思うんです。
神様のプランではおそらく早ければ4歳、遅くて16歳で死ぬはずだったんです。
だから今こんなに辛い。
卒論書いても無駄でしょうね。
書いて無事卒業しても就職する気は無いし、大学院に行っても多分自分の出来なさに呆れさせられるだけだし、
博士課程修了まで生きてるかどうかわかんないし、
だいたい生きる価値があるかどうかすらわかりません。
今までの観察からいうと、おそらく生きる価値なんて今後出てきません。
ゼミの先生じゃない別の先生には「研究者としてたぶん職には困らない」と言われましたが、
仮に研究者になれたとしても幸せになれるわけじゃありません。
知的労働の最たるものですから、頭が働かなくなってしまえばそれで研究者としての人生は終わりです。
そしてその可能性は、決して低くないと思います。
うつ病になって薬漬けになるなど。
現在私はセニランという薬を服用していますが、その副作用なのか集中力がなくなっていることに気がついています。
頭がすっきりしないことが多いです。
今のところ授業に支障は出ていませんが、集中力のなさに驚かされます。
かと言って服用しないのも辛いので仕方なく飲んでいます。
これがさらにエスカレートした状況は想像するに容易いです。
でも本当に頭がすっきりしません。
鉛のヘルメットを被ってるような。
精神的に辛くても、ちょっと服薬やめてみます。


その先生からは前にも「会社勤め向いてないよ」
「小説家とかになった方がいいよ」と言われました。
そういえば最近は全く小説など創作活動を行わなくなったなぁと思いました。
一昔前、大学の友達と漫画の構想を練っていた時もあったんですが。
その友達が「飽きた」と言って、私も彼女に飽きたので、
お互いに離れました。
私はそれと同時に創作活動を行わなくなりました。
当時は楽しかったんですけどね。秘密基地を作ってるみたいな感覚で。
中学高校でもあんまり小説とか書かなかったし、
本当に書いていて楽しかったのは小学校の頃でしょうか。
私が一番望むことってなんでしょう。
ぼーっとすることかなあ。
将来になんの心配も抱かず、痛みなく、苦しまない時期が欲しいなあ。
でもそれって、実際には不可能なんじゃないでしょうか。
物心がついてから今までずっと将来の心配をして苦しむだけの日々でした。
心配してきた将来はどうなったか。
母親は自殺し、父親は再婚して子供二人いるし、
ゼミの教授からはパワハラを受けるし、
社会にバカにされるんじゃないかと常に恐怖を抱えている。
まあ、要するにダメだったってことですね。
享年16歳になれなかった私の価値は墓標よりも低いです。




逃げられない

またまた、歩行障害が出てきました。
歩行障害なのか。
ちゃんと歩こうとすれば歩ける気もするけど、
ちゃんと歩きたくない。
途中で疲れて道で横になれば、ものの数秒のうちに誰かが「大丈夫ですか」と声をかけてくる。
救急車を呼んでやろうと言わんばかりに。
全く、日本社会ってのは人間が道で横になることすら許してくれないのか。
これがホームレスのなりをしていたら何もしないくせに。
ていうか、地味に不思議なんですが、
みなさん歩いてる途中に疲れないんですか?
なんで疲れてもゴロンと横にならないんですか?
私は今日、横になるのではなく、道端に座ればすぐには通報されないということに気がつきました。
しかし座っても疲れは取れない。
学校が終わって家に帰る帰り道でも、なんか全然ちゃんと歩く気になれなくて。
アパートの部屋も、アスファルトの道も、同じようなもんです。
家に帰るのが全然楽しみじゃない。
もちろん、泣くプライバシーとか、ゴロンと横になっても通報されないとか、そういうメリットはあるんですが、
それを差し引けば全くメリットないです。これは当たり前でしょうか。
囚人になった気分。
もうどこへ行っても逃れられないんです。
16歳の時死に切れなかったために私は母親を殺してしまったんだ。
細かい動作ができなくなった。
注意すればコンタクトを着けたり脱いだりできるけど、
注意してないと持ってるものをよく落とす。
体が重い。
病気じゃないはずなのに。
気のせいかな。単に自己憐憫を正当化する理由を見つけたいだけなのかな。


遺族カウンセリングでは、自分の考えをブログに書くような誰にでもわかる言葉で片付けてしまうのではなく、
もっと自分の感情を、ふっと湧き上がる感情を、自分にしかわからない言葉にしてみることが大事だと言われました。
例えば、今の感情は直径1メートル半もある水風船を腕に抱えて歩いてるようなもんだとか。
今のはただの例でそのようには思ってません。
でも、なんか、胃のあたりが苦しい。
今の私の心は、排水口が詰まった台所のシンクみたいな。
水が濁って汚くて臭い。
水の流れがない。
息がつまりそう。
でも蛇口からは水がチョロチョロとなおも入り続けている。
少しずつ少しずつ、限界に近づいている。
周りを見渡せば気づけばワンルームの部屋だったのが、だんだん縮小していって、
そのシンクの周りを残して、部屋がすごく狭くなってるのに部屋の中にあったものはそのままぐしゃぐしゃに押し込められてて、私は全く身動きが取れない。
そのシンクの蛇口が止められない。
何をしても止められない。
これはやばいなと思って、思わず父親に電話したら、これから会いにきてくれることになりました。
迷惑かけるから来なくていいとは言ったんですが。
9時に会う予定ですが、何時になるかはわかりません。



失望

電車が遅延して乗り換えとの接続が悪く、帰りは途中からタクシーに乗らないといけませんでした。
今日は自分にそして世界になんだか失望しました。
彼氏と会いましたが、彼はかっこいいし仕事できるし性格いいしわたしにはもったいない人だと思います。
私が崩壊を経験してたときに、別れることに一時なったんですが、
別れたくないと電話したら、普通に許してくれました。
何事もなく私とまた会ってくれました。
本当できた人だなあと思います。
こんな私みたいなのと付き合ってくれる人なんてなかなかいませんよ。
しかし、現実に引き戻されると、
なんか嫌だなぁって思います。
こんなに醜い世界に誰がしたんだろうな。
醜い世界。
人って基本醜いからな。
建物も近くで見ると醜い。
誰かの仕事で成り立ってる世界が醜い。
不幸な人々を家へ送る醜い電車。
そのフロントガラスは何度も人身事故で交換されてるんでしょう。
そんな醜い電車をこんな夜遅くまで動かす人たちがかわいそうだ。
それに乗らないと帰れない人たちがかわいそうだ。
帰ってもそれは一時的な逃避にすぎず、月曜からはまた嫌な学校やら仕事やらに駆り出される。
私は明日遺族カウンセリングがありますが、行ってもどうにもならないだろうなあとは思ってます。
アホらしい。
お世話になっていた精神科医の人が、結局のところ全く無力だったことが理由でしょう。
彼女とはいい「お友達」にはなれたけど、
彼女は結局私を救うことはできなかった。
彼女は若すぎたのかなぁ。
人生詰んでる精神病者ばっかり若い頃からみてたら医者も精神病みそうですよね。
私は当時は未来のある、烙印のまだ押されていない高校生だったから、
彼女は私とよく時間を過ごしたがりました。
私は薬も投与されていなくて、入院者の中で唯一まとも・精神的に正常な人間だったんだと思います。
本当はダメなのに私にかき氷をおごってくれたり、
本当は行っちゃダメなところまで散歩に個人的に連れてってくれたり。
若いよなあ。
彼女、多分私に感情移入してたんです。
プロ失格だよ。
幾ら何でも。
彼女は当時三十代だったけど、若い感じがしたな。
少年みたいな。とても綺麗な先生だったけど。
私は早く出たかったので必死に正常者のふりをしました。
精神テストでも正常者のいいそうな答えを言いました。
当時なんで早く出たいと思ったんだっけ。
ああ、相部屋になった人が夜驚症で、おちおち眠れなかったからか。
大変だったなあ。あの時は。
今はせめて、夜驚症患者と相部屋にならなくて済むだけ進歩したと言えるでしょうか。
それでも入院費用はすごくかかったらしいし(母親によると)、
何一ついいことはありませんでしたね。
高校の時に死んでれば私はもっと美しい存在でいられたのになあ。
見た目の話じゃなくて、概念として美しかっただろうということです。
享年16歳。
この字面だけでも美しいですよね。
今は今すぐ死んだって享年20歳。
全く美しくない。
凡人が自らの愚かさのために死んだんだなあという感じ。
あきれたもんだ。
自分の死すら美しくできないのか。
20年間も生きてきたのか。
最初の13年間ぐらいはわけもわからず生きていました。
あとの7年間はわけがわかってきたので死にたいと思い続けました。
おそらくこれからもずっと死にたいと思い続けるんでしょう。
母親がまさか首吊るとは思ってなかったよなあ。
首に残ったあの紫色に鬱血した血管。
濃い死化粧からもはっきりわかる彼女の死因。
彼女の変わらない鼻の穴の形。
私と同じ鼻の穴の形。
「苦しんだようには見えないけど」と言った叔母さん。
お前に何がわかるんだよ。
母親の前回の法事以来会ってないな。
世界は醜いなあ。
今日デートで行ったところは何一つ美しいものはなくて、なんか全て悲惨に見えました。
変なレストラン、変な風景。
美しいと思えなかった。
ただ彼の家でやった桃鉄は楽しかったな。
当たり前のように負けたけど。
彼は顔立ちがきれいで。
私のかつて大学で仲のよかった友人に似てる。
そこが少し悲しいです。