母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

インターンシップに行ってみて

昨日参加した某外資系金融機関のインターンシップはとても感じが良かったです。
何も難しいことはしなくて良かったし、ほとんど質疑応答に時間が当てられていました。
参加者も男性と女性がほぼ同数いて(少しだけ男性が多かったかもしれません)、
非常に良かったと思います。
やっぱり経営共創基盤とは大違いですね。
あの時はすごくギスギスしてましたが、ここだと逆に外資系なのに和やかで、みんなフレンドリーでした。
選考ではなくインターンシップ本番だからというのもあるでしょうが。
経営共創基盤のインターンシップは参加者の9割が男性だそうです。
経営共創基盤はいくら社長がボストンコンサル出身で外資系企業の合理性に憧れていても、やっぱり日本の会社の負の部分を併せ持つところがあるなあと感じました。
あのギスギスしたGDで力を発揮できる人がインターンシップに勝ち進むわけです。
また学歴についてかくと、
昨日参加したインターンシップにはもちろん東大早稲田は多かったですが、
筑波大学の農学部の人なども来ていました。
多様性があって非常にいいなあと思いました。
しかし地方旧帝大の人は全く見ませんでした。
不思議と慶応の学生も見ませんでしたね。
もしかしたらいたのかもしれませんが、接する機会はありませんでした。
一般化するのもダメだとは思いますが、確かに外資系企業は女性が活躍できる点がいいと思います。
高校の時の同級生にも二人会いました。
そのうちの一人は同じクラスだった人で、生徒会役員を務めるなど、とてもしっかりしている人で、私が恐れていた人の中の一人でもありました。
彼女はあらゆることを抜かりなく行い、最適解を常に選択するというタイプの人間で、
私は彼女を尊敬はしていましたが、私は絶対彼女のようにはなれないし、なりたくもないと思っています。
昨日のインターンシップで強く感じたのですが、
私は変人であることにアイデンティティを感じている気がしました。
もちろんそれは、周りの人から「変なやつだ」「浮いている」と思われるということです。
しかし私はまた、有能さを持ちあわせているとも考えています。
今までの実績から見れば能力のあることは確かです。
なので変人でいられて、なおかつ有能さを発揮できる場所が今後の進路としていいのかなあと思います。
今まで歩んで来た道も、確かに変な道でした。
しかしまあこうして倍率の高いインターンシップの選考にも通過し、普通に参加できたわけです。
今後どうなるかはわかりませんが、少なくとも経歴と能力から見れば自分のような人間でも社会人としてやっていける可能性があるということです。
この会社は、確かに変人や変な経歴の人も受け入れてくれるところがありそうだなあと思いました。
もちろん倍率はものすごく高いし、私を採用して他の人を採用しない理由が思いつきませんが。
女性社員が多いとは言っても、年配の社員以外はみんな揃いも揃って美人だったので、もしかしたら顔採用というところがあるかもしれません。
芸能人のような美人というわけではありません。
ちょっと綺麗だな、と思うという感じです。
ただ、私はスタイルにはちょっと自信がついて来たので、
いける可能性はなきにしもあらずという感じはします。
でも実際私の参加した部門で毎年入ってくる新入社員の数はだいたい6人前後と、かなり少ないです。
なので落ちても別に落ち込む必要はないと思います。
また、仕事の内容としては、金融の仕事と言っても、事務作業がほとんどであまり高度なことはやってなさそうでした。
英語はそれほど高いレベルは要求されなさそうだなとは感じました。
社内での連絡は全て英語らしいですが。
英語を生かしたいということであれば、やっぱりメディアとか、書いたり表現したりする仕事が一番向いているのではないかと思いました。
でも金融業界を見てみて、少し興味が湧いて来ました。
来週もブローカー業のところに行って来ます。
顔採用なんてけしからんと確かに私も思いますが、
あまり高度なスキルを要求されない仕事において、
経歴も何もかも同レベルの新卒がいたら、
そりゃあいい見てくれの人をとりますよね。
逆に外見が関係ない仕事といえば、お客さんと接しない仕事、高度なスキルを求められる仕事でしょう。
私のしたい仕事は実力を生かせる仕事なので、今回の仕事内容だけを見ると正直物足りなさそうというのが率直な感想です。しかし仕事をする環境としてはなかなか良さそうでした。




ハムスター

ハムスターの消息がわからないのです。
ケージの寝床の中にいるんだと思うのですが、寝床が全く動かないのと、餌を置いても出てこないのと、寝床を揺すっても起きないのと、不気味に静かなのとで、おそらく死んだのではないかと思います。
もしくは瀕死か。
さすがに、明日の朝に起きて見てみて、何も変わっていなければ、死んだと判断してペット葬儀サービスを利用しようと思います。
とか考えていたら、ハムスターが出てきました。
今は元気に人参を食べています。
今日行ったインターンシップでの緊張と、ハムスターが死んだかもしれないという恐怖が重なり、不安時の頓服を飲んだため、緊張が緩んでなんか酔っ払ったみたいに体がグラグラしてました。
今回は24時間家を空けてしまったので、ハムスターが大丈夫かと生きた心地がしませんでした。
前は家を空けていた時にエアコンが勝手に止まってしまい、たまたま比較的涼しい日だったからよかったものの、
場合によっては熱中症で死なせていたかもしれないのです。
いつエアコンがまた止まるかわかりません。
この子がもうちょっと涼しくなるまで元気でいてくれたら、そのまま看取ろうと思います。
少なくとも寒い時期に死んでもすぐ腐ることはないと思うので。
一番の懸念は腐乱死体になること、
もう一つの懸念は私が実際に瀕死の状態で何か助けるためにアクションを起こさなければならないこと。
後者の懸念は消えることはないでしょう。
それと死亡を確認しなくてはならないダメージがあまりにも大きいです。
私は今日感じた不安で、もうハムスターをどこかに放してこようかと思いました。
新潟や、山梨など、自分が絶対に行かないような場所に。
私は、ハムスターを自分で買ったわけではありません。
母親が買ってきたのですが母親が死んだので、残されたハムスターを私が面倒見なくてはならなくなったのです。
本当はハムスターなんて欲しくなかったし、そいつの面倒を見てやる義理なんてないんです。
でもかわいそうだったので、私が面倒をみることにしました。
その中で、確かに愛着は湧きました。
でも私は昔から、生き物の死体や死骸がとても怖いのです。
今まで飼ってきたペットも、死骸を見ることは避けていました。
なのでハムスターの死んだところをみるぐらいだったら、
死ぬ前に、どこかに放してこようかと思います。
もしくは、友人の家に預かってもらうか。
でも嘘をついて、友人に預けるのはちょっと嫌な気がします。
祖母に預かってもらうことはできるかもしれません。
祖母に預かってもらえるか聞いて見ます。
一日預かってもらって大丈夫そうにしていたら、そのまま死ぬまで預かってもらおうと思います。



デート

昨日は、男性とデートに行きました。
彼とは何回かデートに行ったことがあったのですが、今回初めて手をつなぎました。
彼の方から手を繋いできました。
とても暑い日でしたが、半分ぐらいの時間は手を繋いでいました。
自分と手をつなぎたいと思ってくれるなんて嬉しかったです。
彼も手を繋いでいると幸せだと、言ってくれました。
なんか、感慨深いものがありましたね。
こんな自分が他人に幸福を供給できるなんて、とても考えられなかったのです。
今まで何人かと交際してきましたが、その度に驚かされてきました。
しかし今回は特に、びっくりしました。
私は今まで高校2年から大学2年まであまり長い間を空けることなく(せいぜい3〜4ヶ月)、彼氏がいました。
彼氏でなくても、仲のいい男性はほぼいつも誰かしらいました(肉体関係はありませんでしたが)。
しかし今は前の彼氏と別れてからもう八ヶ月ぐらい経っています。
はたから見ればこれは長い期間じゃないのかもしれませんが、
私にとって八ヶ月はかなり長く感じました。
この間に、私は短期留学に行ったし、
春学期も終わってしまいました。
その上一人旅にも出かけました。
彼氏なしで過ごした大学生活はこれが初めてでした。
彼氏がいなかったからこそ、長い間海外に行ったり、旅行に一人で行ったりできたわけです。
それはそれで充実していたように思います。
学業に専念できたし、自分の将来を自分のためだけに考えることができました。
今まで彼氏ができると、すぐ結婚を考えてしまい(実際は数ヶ月で破局するのですが)
彼氏との生活を優先した将来設計を立ててしまいがちでした。
彼氏と一緒に住みたいから、東京に居られる仕事に就こうとか。
しかし彼氏がいない間、私はすっかり一人に慣れてしまい、
自分を第一に考えた将来設計をしていました。
だから無責任に、人を殺して死刑囚になってやるとか考えていたのです。
彼氏がいたらとてもそんなことはできません。
自分が人を殺したら失望し悲しむ人がいるので。
もちろん父親も失望し悲しむでしょうが、父はその原因の一つでもあるので、
父が頭ごなしに私を責めたてることはできないはずです。
なので全く関係のない第三者がいることによって、自分についてある程度の客観性を持てるようになります。
そして今回のケースは彼が私に好意を持っているのか確信が持てず、
「友達が欲しいだけなのかな」と思っていただけに、
好意の意思表示をしてくれたことが嬉しかったです。
孤独のために、私は味方をしてくれない社会を恨み、復讐心をつのらせていました。
しかしたった一人の男性が自分を好いてくれるだけで、
これほど嬉しく、余裕を持てるのには驚きます。
あの秋葉原無差別殺傷事件の犯人に、必要だったのは恋人ではないでしょうか。
テロリズム行為の9割は、犯人に普通の恋人がいたら防げたのではないかと思うぐらいです。
社会に復讐するより大事なことがあれば、普通人はそっちに行くはずなんです。
社会に復讐することが第一優先にある人は、何も失うものがない人なんです。
いわゆる「無敵の人」です。
私は自分も「無敵の人」予備軍だと考えていました。
でもこの「無敵の人」状態を脱するには、別に社会的ステータスは必要なくて、
ただ、恋人一人できればよかったんです。
これは盲点でした。
やっぱり交際していない期間が長いと、
自分が幸せにできる人がいることを忘れてしまいます。
でも今まで散々憎悪してきた自分を、誰かが好きになってくれるなんて、手を繋いで嬉しいと思ってくれるなんて、ちょっと理解できないですね。
とても嬉しいことではあるんですが。
この人を私が好きかというと、まあ嫌いではないという感じです。
嫌うところがないというか。
気も合うし、いい人だとは思います。
燃えるような恋ではありませんが、その方が健康だと思います。
彼も別に私に燃えるような恋心を抱いてるわけじゃないと思います。
この程度がちょうどいいと思いますね。
燃えるように情熱的な恋って冷静に考えると滑稽だと思うし、何かとめんどくさいので。
孤独ってやっぱり有害だったんですね。
喫煙より人体に有害だという話もありました。
身を以てよくわかりました。
今度ゼミの女性の友人を映画に誘ってみようかな。
孤独を脱せると、余裕ができて、反社会的な行動に出なくて済む。
それだけでも十分人と接する価値はありますね。