母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

一人で生きていける生き方

私が今日考えるのは「たとえ貯金があっても自殺するべきか」と言う問いです。
私は今日、自分ではどうにもできない、一生苦しみ続けるしかない問題について考えていました。
これはもうどうしようもないのです。
これは一生、背負っていく苦しみ、不甲斐なさ、惨めさなのです。
それを考えた時に、もし一生その苦しみから逃れられず、
お金を使ったり、働かずにプラプラすることがただの一時的な逃避にすぎなくて、
結局はなんの解決にもならないとしたら。
そうしたら私はお金を使い切ることにこだわらず、自殺するべきでしょうか。
読者の中には「使わずに死ぬんだったらその金をくれ」とか、
「贅沢な悩みだ。こっちは医者に行く金もないのに甘ったれるな」
とか「寄付すればいい」とか思ってる方もいるかもしれません。
しかしこれらは私にとって使わずに死ぬのと全く同質の選択肢なのです。
まず、見知らぬ誰かにお金をあげてしまうこと。寄付すること。
これらは両方、「使わずに死ぬ」とほぼ同義です。私はそれによって何も快楽を得られませんし、人の役に立ったともとても思えません。寄付は団体を介してするならかなりの量は手数料で取られるだろうし、見知らぬ誰かにポンとあげてしまっても、その人の人生を狂わせることになるかもしれません。
もちろんマイクロファンドなど意味のありそうなことはできますが、それをすることによって私が得るものは何もありません。
人を資金提供によって助けることになんら喜びを感じないからです。
なので自分で使う以外の選択肢も、実質的には選択肢になっていません。


自分でお金を使って死ぬか、使わずに死ぬか。
使って死ぬとなると、使う間は生きていなければならないと言うことになります。
ハワイでのリゾート旅行、日本一周水族館の旅など、いいお金の使い道はいくらでもあります。
贅沢を知ることによって、人生を肯定できるのかもしれません。
でもそれ以前に私は一人で旅行を楽しめるようにしなくてはなりません。
ハワイに行くにしても、水族館に行くにしても、これからは基本的に一人です。
私は一度イルカウォッチングに一人で行ったことがあります。
その時はとても楽しかったのですが、一緒に行くはずだった友達にそのことを伝えるのが楽しみの一部でした。(まだそれ以来会ってないですが)
私のこれからの全ての楽しみは自分に帰結しなくてはなりません。
なので宿題が全部終わったら、私は一人で贅沢をする練習をしようと思います。
幸せな経験は、ものを買ったりする一時的な幸せよりずっと長持ちするらしいです。
ただ、一人で幸せな経験ができるのか。
友達に伝えようという楽しみもなく、たった一人で、自分だけのために楽しむことは可能なのか。
自分はよくわからないです。
子供なら、一人でも楽しめるでしょう。
やっぱり慣れれば、楽しめるのかもしれません。
実際にイルカを見に行った時も楽しかったので、心配する必要はないかもしれないですね。
誰かに思い出を伝えたいと言うことだったらこういう風にブログに書いたっていいわけですし。
神奈川の海沿いに家を買って、そこで内職とかをしながら過去の自分を捨て、ひっそりと暮らすのもいいかもしれないです。
「社会は誰も私を気にしてない」「そもそも自分は存在を認識されていない」
「自分は自分の短所をバカにされることはない」
という状況を作り出せるような、たった一人で生きていけるような、
そんな仕事をして生きていけたらいいなあと思います。
サステナブルに、バカにされなくて済む、人とあまり交流を持たずに済む生き方ができたら、私は死ななくてもいいのかもしれません。
私の将来の目標は、たった一人でなるべく人と関わらずにお金を稼げる方法を見つけることです。
そのゴールのためなら、死んでもいいかもしれません。