母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

ブレイクダウン

昨日はノイローゼと書きました。
これはnervous breakdownの和訳をググって出てきた言葉です。
しかし、これはブレイクダウン以外の何とも言えないと思います。
これは崩壊です。
昨日は、秋葉原無差別殺傷事件の犯人の本を読んだ話を父親にしました。
私も死ぬんだったら、たくさんの人を殺し、世間にメッセージを伝え、死刑になって死にたいと話したら、激昂されました。
でも彼は感情的になって声を張り上げて「そんなのダメだ」って言っただけで、
私は全く納得がいきませんでした。
なんで人を殺しちゃいけないのか。
私にはわかりません。
私は人に対して残虐行為を行いたいというのではなく、
将来を約束された奴らのニヤニヤ笑う顔を青ざめさせてやりたい。
私を見下す奴らに一発食わせたい。
もちろん将来を約束された奴ら全員を殺すことはできません。
私を見下す奴ら全員を反省させることはできません。
「私が自殺したり、人殺しになったら、お父さんのせいだからね」
私は昨日そう言いました。
しかし、実際そうなんでしょうか。
父親にも責任はあったものの、父親だけに責任があったわけじゃありません。
実際誰のせいかというと、
母親のせいであり、私の通っていた高校の教師のせいであり、日本社会のせいです。
それと私の極度にネガティブな考え方と、悪質な脳内物質のせいです。
こう考えると、犯罪っていうのは極端にいうと決して犯罪者のせいじゃありませんよね。
犯罪者はそれをせざるを得なくなっただけです。
もともと破裂しそうなパイプの亀裂ができたところがたまたまそこだった。
社会の無理を押し付け合い、押し合いへし合い、責任をなすりつけ合い、
断層のように、圧力がたまたまそこにかかってしまった。
だから犯罪に対する刑罰っていうのは、極端な話を言えば、トカゲの尻尾切りにすぎないわけです。
刑罰を個人に与えることによってさも、問題が解決されたように振る舞う薄っぺらい社会。
私は心底嫌気がさしますね。
今日も犯罪を犯す人々がいるけど、私はその社会に加担している一因にすぎないのです。
自分が心底情けないです。
生きてる限り、誰かに圧力を与え続け、誰かを犯罪へ追い込んでしまう、
そんな社会に生きる価値などあるでしょうか。