母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

認知の歪み

学校やインターンシップイベントや先生や友達や父親のこのどれよりも、
多分自分が自分を一番傷つけてます。
私が自分を批判するのに使う言葉は、他人から実際に言われたことは一度もありません。
ただ、「他人はおそらくそう思っているんだろうな」と思っています。
他人の持ちうる最大レベルの悪意を、自分に毎日向けています。
そのくせ、自分を安心させてくれない人は排除し絶交しようとする。
そして一人で閉じこもりたがる。
自分で自分を認めてあげることができないから、その役目を信頼できる他人に委託しようとする。
そして他人がそれをできないと、「この役立たず」と怒って、
その人を自分の人生から抹消しようとする。
一人でいても、認知の歪みから現実を正しく認識できず自分を傷つけてしまうだけなのに。


これは全部私の頭の中から生じた有害な考えがひき起こしている事態です。
明らかに認知の歪みです。
でも私はこの認知の歪みから逃れられません。
私に心当たりがあるのは、境界性パーソナリティ障害と、自己愛性パーソナリティ障害です。
後者は特に当てはまると思います。
精神科の先生も、もし自己愛性の患者さんがいても、治せない病気だから何も言わないそうです。
なので基本的に、私の認知の歪みは治せません。
私はひどくパラノイドで、
後ろを誰かが歩いていると殴られるのかな、と反射的に思ったりします。
なんの根拠もないのに恐ろしい結果を毎日予想してしまいます。


私は「社会と関わらずに済む仕事をしたい」なんて書いていましたが、
自分で自分をいじめ続けるなら全く意味ないわけです。
この苦しみから解放されることはないということです。
だいたい私のいう「社会」というのは「私の想像している社会」でしかなく、
現実の社会と私の想像している社会というのは全く異なるものなのかもしれません。


私は嫌いな人は、心の中で罵倒しまくってます。
一挙一動にケチをつけ、「醜くバカで生きてる価値のないやつ」と目の敵にします。
でも全く同じことを自分に対してもやってるわけです。
私は自分が嫌いなんだと思います。
ただ、それを知られると、他人にバカにされるから、必死に自分が好きなふりをしている。
自信があるふりをするのは結構上手くて、周りの人から相談ごとをされることもあります。
でもその時の私は、内心、
「私はお前のお母さんか?一人で解決しろこのウジ虫が。甘えるんじゃない」って思ってます。
表向きは優しく相談に乗ってあげてるんですけど。
よく知りもしない他人を徹底的に軽蔑する自分。
私を頼ってくれる人を徹底的に軽蔑して見下している自分。
自分自身を徹底的に軽蔑している自分。
私はいつからこんなに意地の悪い人間になったんでしょうか。


いつからこんなに歪んだ人間になったんでしょうか。
私はもっと、こう、余裕のある優しい人間になりたいです。
嫌いな人も、一挙一動を批判せずに、「こういう人もいるよね」と思い、
「自分は完璧じゃないけど、完璧な人なんてそもそもいないし、自分は自分でいいんだ」って思えるようになりたいです。
この文を書いている時から頭の中の声が
「そんな歯の浮くようなセリフマジで言ってんの?バカじゃないの。お前は恥さらしだ。一刻も早く死んだほうがいいよ」って叫んでます。
こんなひどい言葉を吐く人は自分以外いません。
ネットでもこんなにひどいこと言ってくる人はいません。
母親にすらこんなこと言われたことありません(まあ近いことは言われましたが)。
私の第一の課題は、一人でできる仕事を探すことではなく、
まず自分に優しくなることなんだなと痛感しました。


「自分はこうあるべきなのに、そうじゃないから、死ぬしかない」という式が頭の中で出来上がってる気がします。
私は起きてる時間はこのべき論から逃げることに注意を注いでいます。
しかし逃げきれなかった時には深く落ち込み自殺願望を持つことになります。
なので、「これはべき論だな」
「認知の歪みであって、事実じゃないな」と思う習慣をつけなければいけないみたいです。
他人に批判されたと感じる時でも、
「これは本当に批判するための悪意があったのか。おそらくなかったんじゃないか」という方向で考えるようにしたいです。
「悪意があったことを裏付ける理由」ではなく「悪意がなかったことを裏付ける理由」を考えたいです。
私は性悪説に立っていて、例外はあるが他人は基本的に悪意を持っているという風に考えています。
なので「悪意がなかったことを裏付ける理由」を考えるのが難しいんだと思います。
そのことが私に悪意を植え付けています。
性悪説に立てば、自分が性悪になる。
逆に性善説に立てば、自分の性格がよくなるのかもしれません。
頑張って性善説を受け入れたいです。
これって、ポジティブに考えるということでもあります。
急に変えるのは無理があるので、「悪意があった理由」「悪意がなかった理由」と両方考えることから始めたいと思います。