母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

逃げられない

またまた、歩行障害が出てきました。
歩行障害なのか。
ちゃんと歩こうとすれば歩ける気もするけど、
ちゃんと歩きたくない。
途中で疲れて道で横になれば、ものの数秒のうちに誰かが「大丈夫ですか」と声をかけてくる。
救急車を呼んでやろうと言わんばかりに。
全く、日本社会ってのは人間が道で横になることすら許してくれないのか。
これがホームレスのなりをしていたら何もしないくせに。
ていうか、地味に不思議なんですが、
みなさん歩いてる途中に疲れないんですか?
なんで疲れてもゴロンと横にならないんですか?
私は今日、横になるのではなく、道端に座ればすぐには通報されないということに気がつきました。
しかし座っても疲れは取れない。
学校が終わって家に帰る帰り道でも、なんか全然ちゃんと歩く気になれなくて。
アパートの部屋も、アスファルトの道も、同じようなもんです。
家に帰るのが全然楽しみじゃない。
もちろん、泣くプライバシーとか、ゴロンと横になっても通報されないとか、そういうメリットはあるんですが、
それを差し引けば全くメリットないです。これは当たり前でしょうか。
囚人になった気分。
もうどこへ行っても逃れられないんです。
16歳の時死に切れなかったために私は母親を殺してしまったんだ。
細かい動作ができなくなった。
注意すればコンタクトを着けたり脱いだりできるけど、
注意してないと持ってるものをよく落とす。
体が重い。
病気じゃないはずなのに。
気のせいかな。単に自己憐憫を正当化する理由を見つけたいだけなのかな。


遺族カウンセリングでは、自分の考えをブログに書くような誰にでもわかる言葉で片付けてしまうのではなく、
もっと自分の感情を、ふっと湧き上がる感情を、自分にしかわからない言葉にしてみることが大事だと言われました。
例えば、今の感情は直径1メートル半もある水風船を腕に抱えて歩いてるようなもんだとか。
今のはただの例でそのようには思ってません。
でも、なんか、胃のあたりが苦しい。
今の私の心は、排水口が詰まった台所のシンクみたいな。
水が濁って汚くて臭い。
水の流れがない。
息がつまりそう。
でも蛇口からは水がチョロチョロとなおも入り続けている。
少しずつ少しずつ、限界に近づいている。
周りを見渡せば気づけばワンルームの部屋だったのが、だんだん縮小していって、
そのシンクの周りを残して、部屋がすごく狭くなってるのに部屋の中にあったものはそのままぐしゃぐしゃに押し込められてて、私は全く身動きが取れない。
そのシンクの蛇口が止められない。
何をしても止められない。
これはやばいなと思って、思わず父親に電話したら、これから会いにきてくれることになりました。
迷惑かけるから来なくていいとは言ったんですが。
9時に会う予定ですが、何時になるかはわかりません。