母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

社会不適合者

今日はゼミの人たちと飲み会がありました。
自分はつくづく社会不適合者だなあと思いました。
少人数だったのでいっぱい話せましたが、余計自分の不適合さが浮き彫りになってしまった気がします。
もちろん、自分は50%の人間なので50%しかできなくて仕方ないのですが、
本当今日の自分は50%スレスレだったと思います。
なるべく他人の話を遮らず、人の話を熱心に聞くように心がけはしました。
でも、なんか男子が私のエピソードをグイグイ聞いてきて、
「やっぱりすごい変人だね。嫌いじゃないけど」とか言ってきて、
それはいいんですが、自分だとどこが変なのかわからないんです。
怖いですよね。
まるで背中に自分の読めない張り紙をされてるような。
でも私はその男子のことが好きというか、
私は本当に同い年の男子には愛される価値がないと考えているので、
私と話してくれるだけで嬉しいんです。
本当は同い年の人と付き合ってみたい、と思うところがあるのですが、
この男子は私とも他の女子とも精神的なキョリを置くところがあるというか、
話してても友達でいたがるような、距離を縮めたがらないような、
そんなところがあるのかなと思いました。
私から何か、提案した方がいいんでしょうか。
共通の趣味とか、あるとは思えないんですが。
ただお話がしたいってだけでいいんでしょうか。
私はこの人のことが特別好きなわけじゃないんです。
私に興味を示してくれるのが嬉しいだけなんです。
なのでもし付き合ったとしても、私からは何も提供できません。
せいぜいおごってあげるとか、それぐらいしかできません。
精神的に愛してあげることができません。
好きでもないのに、付き合ってくれというのは、申し訳ない気もします。
やっぱり自分は人と付き合うには自己中心的すぎるんだと思います。
つくづく自分の社会不適合さに呆れさせられます。
私は性悪説に立っていると前の記事で書きましたが、
やっぱり自分の考えてることとか振る舞いを見てると、
少なくとも自分は性悪だとしか思えないのです。
人は自己中なものだけど、自分は飛び抜けて自己中だと思います。
自己愛性パーソナリティ障害なんでしょうか。
やっぱり自分は本当の意味で他人を愛することはできないのだと思います。
愛着障害についてネットの記事を読んでみましたが、
乳幼児の時に親に愛情を受けなかった人がなるみたいです。
私が乳幼児の時はまだ母親と敵対関係になかったので、愛情を受けていたはずなんですが、
私はもう物心ついた頃から母親の機嫌を取らなくてはならないという意識がどこかにあったので、
やっぱりこれが原因なのかなと思います。
私はもしかしたら一生人を愛せないのかもしれません。
他人は常に私の人生の中の小道具、大道具であり、
ただのカンフル剤、一時的に気持ちよくなる麻薬でしかないのです。
友人も父親も、私に興味を持ってくれる男性も結局はそれ以上の重要さはありません。
昔は尊敬している先生もいましたが、
私はその方に勝手なイメージを押し付けて、そのイメージが壊れると勝手に幻滅してしまって、
それ以降心も体も捧げたくなるような人とは出会えていません。
そしてその方が健全なんだと思います。
私が多分一生一人だと思うのはこのことが理由です。
他人が大切だと、心の底から思えないからなのです。
だからテロリスト集団に加わりたいとか思ってしまうのです。
でも自分が大切だとも、心の底からは思えません。
自分に対してあるのは愛ではなく執着なんだと思います。
この執着をなくせたら、
私はもしかしたら、今の自分を脱して、他人も自分と同じぐらい大事なんだと、
考えられるようになるのかもしれません。
自分は一生一人であるということを受け入れて、
このまま性悪の自分のままでも、ひっそりとなるべく迷惑をかけずに、
生きていけたらいいなあと思います。