母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

自己軽蔑

自分が自分に対してどういう態度をとっているか、このことに気がつくことは大切である。[...] あなたは自分を軽蔑しているが、あなたはそんなに他の人に比べて軽蔑に値するだろうか。他の人を尊敬できるなら、自分をだって尊敬できるのではないだろうか。

なぜ他の人に比べて自分だけをそんなに小さく感じてしまうのだ。決してあなたはそんなに卑しく小さな存在などではない。なぜ自分だけがそんなに卑しいと思うのだ。

あなたは自分が成長するということを忘れているのではないか。どんどんあなたは大きくなっているのだ。いつまでも自分で自分を小さく扱うから、自分を小さく感じてしまうのである。

あなたが他人を大きく扱うから他人を大きく感じてしまうのである。もう自分を軽蔑したり、自分を卑しめたり、自分を軽く扱ったりすることはやめようではないか。もう十分に自分を卑しめた。これからは自分を大切に扱おう。[...] 同じ人間として生まれて、なぜあなただけが奴隷で周囲の人は主人なのだ。なぜあなただけが裁かれる立場にいて、周囲の人は裁判官なのだ。

加藤諦三の『自分を活かす心理学』の『あなたはもう十分に自分を卑しめた』という章からの抜粋です。
私が大量殺人をしたいと思うのは、他人に裁かれると感じるからです。
他人に「くだらないやつ」「バカ」「死ねばいいのに」と思われるのが苦痛であり不当だからです。
でも、この本によると、どうやらこれは自分が思ってることをさも他人が思っているかのように錯覚してしまっている状態のようです。
これを「外化」と呼ぶらしいです。

自分で自分を軽蔑していると、相手も同じ感情を持つと信じて疑わない。

相手を一人の、自分から独立した、別個の人格とみなしていない。

相手が自分と違った感じ方をするということが感情的にのみ込めない。

自分にとって不快なことは相手にとっても不快なことだし、自分にとって気分いいことは相手にとっても気分いいことだし、自分にとって痛いことは相手にとっても痛いことだし、自分にとっての快感は相手にとっても快感となってしまう。

自分が自分を蔑視してしまったら、相手も自分を蔑視しているとしか考えられなくなっているのである。

本当に心の内をそのまま当てられたような感じがします。
私のことが好きな人に「本当はお前は私を軽蔑してるんだろう」というのは、その人の人格を無視してしまうことになっていたんですね。
私にはこれがわからなかった。
相手にとっては、辛かったろうと思います。
恋人も、私から何かを得られるから一緒にいたいのではなく、ただ私が好きだから付き合ってくれていたのに、私にはそれがわからなかった。
だから私から離れていったんでしょうか。
「自分の感情が他人の言動にひどく影響を受けるのは、自分の感情を外化しているからである」。
自分を見下すのをやめて、自分の理想像を捨てなさい、ということですが、
そんなに簡単にできたら苦労しませんよね。
でも私は自分の非現実的な理想像のために自分を殺したり、自分の人生を台無しにするかもしれない。
少なくとも、今までそのせいで恋人にフラれてきたし、大量殺人のための作戦を空想したし、自殺の道具を手配する・自殺の方法を調べ練習を重ねるまでに至りました。
実害がでるどころか破滅まであと一歩のところまできていると言っても過言じゃないと思います。
私は十分に自分を卑しめた。
自分の達成してきたことを肯定できないとしても、
非現実的な理想を自分に押し付けるのはやめよう。
他人が私を軽蔑している、もしくは私のことを知ったら軽蔑するだろうと考えるのもやめよう。
他人は他人であり、私と同一人格じゃない。
考えて見れば、私ほど徹底的に自分を批判している人はいないと思う。
これほど徹底的に私を批判してくる人もいないと思う。
自分が間近で自分を見てきたからこそ、これだけ徹底した批判が可能なのです。
赤の他人が私をここまで徹底的に軽蔑できるわけがありません。
そこまで私のことを知らないし、知ることもできないのです。
私が自分に抱いているほど強烈な軽蔑を他人が抱くことはもはや不可能でしょう。
私を傷つけるのは、常に私です。
他人の発言を自己軽蔑の正当化材料に使うのは、私です。
私の心理一つが、何の変哲も無い世界を恐ろしい場所に変えています。
でも、この心理から逃げられなければ、
私はやはり死ぬしかないだろうと思います。