母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

自分を肯定しよう

私は昨日の記事では自分が性悪だと書きました。
自分は愛される資格はないと。
社会にとって害悪な存在だと。
でももしかしたらこれって、ラショナルな思考ではなく、例のひどいことを言うあの頭の中の声なんじゃないかと思いました。
だって、普通に言えば何がよくて、何が悪いかなんて完全に好みの問題じゃないですか。
それを「自分が悪い」とあえて自分を貶めるのは、悪い方向に考えている証拠です。
むしろ、自分は社会にとって有益な存在だと思うこともできるはずです。
自分が対人関係において、社会にとって有益な理由を考えてみます。


対人関係で有益な理由
-自分が変人なので、他の人も私がいると自分の個性を出していける(自分を隠そうというプレッシャーを感じない)
-正直なので、他人は一緒にいて気疲れしない
-付き合いが浅い人には人当たりが良く、なるべく傷つけないようにしている
-エネルギッシュなので一緒にいる人に元気を与える
-不安がっている人にアドバイスをして安心させることができる


社会にとって有益な理由
-この社会をより住みよいところにしたいと強く思っている
-少数派の意見と知識を持っているので、社会にとっては必要な存在
-技能があるので、労働市場において一定の需要がある
-責任感があり、仕事はちゃんと終わらせる、遅刻はしない



思いつくのはこれぐらいでした。
協調性がないとか、自己中心的だとか、空気が読めないとか、
欠点はいくらでも思いつくんですが。
自分はやっぱり対人関係においてというよりも、非個人的な次元で本領を発揮できるんだと思います。
対人関係においてポンコツなのは、もう仕方ありません。
そういうものだと受け入れるべきです。
でも社会の中での役割をきちんとこなせるように、
ちゃんと知識を培って、専門性を高めて、
この社会になんらかの形で、貢献したいと思います。
なんか立派なこと言っているようですが、
これは結局は自分の価値を見出そうとしているだけなのです。
対人関係がダメだから、せめて社会にとっては自分は存在する価値があると、
そう言えるようになりたいのです。
でも本当は、対人関係がダメでも、社会にとって害悪でしかなくても、
自分は生きていていいんだと言えるようになりたいです。
もし死刑囚になって、
司法と日本社会全体に「お前は死んだほうがマシだ」と言われたとしても、
自分は正しいんだと、自分を一人で認めてやれたらいいなと思います。
それが私の理想形ですね。