母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

回想

自分が多分人生の中で一番幸せだったのは、両親の仲が悪くなる前、本当3歳ぐらいのときだったんじゃないかと思います。
その時のビデオをみて。
お母さんがビデオをとってて、私とお父さんとお母さんと広い公園で遊んでいて。
小さな、小さな私がお父さんとお母さんの間を行ったり来たりして。
このビデオの中の私は、こんなに悲しく、苦しみに満ちた人生を歩むことになるなんて、知らなかったんじゃないでしょうか。
なんでこの話をすることにしたかというと、当時聴いていたおかあさんといっしょの曲を聴いていて、思い出したからです。
なんか、心が締め付けられるような辛さがあります。
そのビデオを撮っていた優しい母親はもう長いこと、どこかに消えてしまっていて。
去年死んだ母親っていうのは、もう最後の絞りかすみたいなものだったんだと思います。
優しさとか、そういういたわりができる余裕を全て仕事にまわしてしまい、
私には怒鳴るか、無視するかの二択で。
本当、あの自殺はもう「消耗し切ってしまったんだな」と自分の中で思っています。
なんか浴槽に入った水が排水溝へ流れ出ていくような。
最後は本当にあっけなく、ふっと消えてしまうような。
お母さんは、もう、あの時点で、どれぐらい休んでも、もうダメだったんだと思います。有限な何かが、どんどん失われていって、底をついてしまったような。
そんな感じがします。
私の人生からも、有限な何かが、どんどん排水溝へ流れ出ているのかもしれません。
いや、まだ若いから、浴槽にその有限な何かを貯めている段階なのかもしれません。
でも私には恐ろしくてたまりません。
どれぐらいのペースで流れ出ていくのか。
いつふっと、消えてしまうのか。
これは、時間のことではないんです。
時間的な余裕は母親はまだまだありました。
母親は本当は80とか90まで生きてもよかったはずなんです。
でも、80とか90までもつはずの、その生きるためのバイタリティーみたいなものが、
53歳の時点でなくなってしまったんです。
お母さんは、頑張りすぎていたんです。
なんのためにかはわかりません。
私の学費もそんなに高くはなかったはずだし、養育費はもらっていたし、借金もありませんでした。
なんのために、あんなに働いていたんでしょうか。
老後のためでしょうか。
今となっては馬鹿らしいですよね。
老後のために働いていて結局自殺して稼いだ金を使えないと。
お母さんの自殺は、私の自殺未遂とは違う感じがします。
母親は、多分絶望の中で死んだんだと思います。
私の自殺未遂も、確かに絶望の中でしたことですが、
はたから見れば出口のない問題ではないし、大したことはなかったんだと思います。
でも母親は、社会的な見栄とかそういうのを全て放棄した上で、
絶望して、死んだんだと思います。
さて、これからの問題は、私は自殺するべきかという問題です。
こんなに悲しいことがあったのに、なんで周りの人間と同じように頑張って生きていかなきゃいけないのか、という問題です。
これは私がこれから一生背負っていく命題です。
今のところの私の答えは、
周りの人間と同じように頑張る必要はない。飢え死にしてもいい。
なんで生きるのかという質問に対する答えは思いつかないけど、
ひょっとしたら、いつか、どこかで、幸せを見つけられるかもしれないから。
私たち人間って、ひょっとしたら幸せになれるかもしれないっていう希望だけで生きている生き物なんですよね。
今幸せじゃなくても、未来の幸せのために頑張るとか。
今幸せじゃなくても、未来に期待するとか。
はっきりいってバカらしいですよね。
現在の幸福を犠牲にしてまで、不確実な将来に投資をしようとする。
バカらしいにもほどがあります。
でも、現在の幸福を犠牲にしないことが不安で、結局犠牲にした方が気持ちが楽とか、
そういうメンタリティーになっちゃってるんですよね。
でもやっぱり将来幸せは待っていないのかもしれないし、
今やっていることは完全に無駄なのかもしれない。
なので、一番いいのは、現在を楽しむということなのです。
でも私はそれもできません。
現在は決して楽しむためのものじゃないと、生まれてから現在まで教育されてきたからです。
でも将来のある時点の「現在」で、「現在」を楽しめないと、
私の全ての努力は、母親の苦心と同様、無に帰すことになります。
なのでこれから私がやらなくてはならないのは、自らの再教育です。
将来を犠牲にしても、現在を楽しむことを学ばないといけません。
私は前にも言いましたが、あと15年とか20年とかぐらいしか生きる予定がありません。
なので、本当それ以上先の将来のために努力しても意味ないんです。
そして20年間は、私の母親の遺産で生きていける見積もりになっています。
なのでもう何もやる必要ないんです。
だから、もし何かやるんだったら、納得の上やらないといけません。
いやいややるんだったら最初からやるなと。
時間は限られています。残り20年ぐらいしかないので。