母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

人生の目的

ネットの記事とかを読んでいると、ことあるごとに後ろ指を指されている気がしてしまいます。
これってみなさんにもあるんでしょうか。
「私の娘は現在大学で医者をやっています」というコメントが他のブログにありました。
私はそれを、「私が医学部に行ってないことの当てつけか」と反射的に思ってしまいました。
東大のミスコンの記事を目にした時も、「私が東大に行ってないことの当てつけか」と思ってしまいました。
これってコンプレックスですよね。
自分はもっと頭いいはずだ、医学部にも東大にもいけたはずだって思ってるんです。
でも現にいけてないし、色々な理由から無理だったんです。
で、私に現在残されている未来っていうのはそんなに楽しみなものじゃなくて。
だからなおさら、自分のできなかった過去に執着してしまうんだと思います。
このことを解消するためにはどうしたらいいんでしょうか。
まず、私に残されている未来が楽しみだと思えるようになるべきですね。
今度旅行に行くとか、そういう短期的な「楽しみ」じゃなくて。
「私はこういう仕事をして、こういう風に生きて行くんだ」という楽しみが必要ですね。
私はエリート街道から外れたので、エリートから外れたことを楽しむ生き方ができるのが特徴だと思います。
「エリートコースにいなきゃ」という執着やプレッシャーがない分、自分の本当にやりたいことに集中できるのは強みです。
では、自分の本当にやりたいことは何か。
私はただ食いつなぐのが目的ではなく、自分のやりたいことを達成する上で食いつなげればいいのです。
私のやりたいこととは何か。
私は何らかの形の教師、ジャーナリストか、政治家になりたいです。
普段人々が知らない情報を伝えるとか。人々に格差の実態を知らしめるとか。
人々がいかに搾取されているのか、そしてどうやってその搾取の状態から抜け出せるのかを考えたいです。
インターンシップの面接では「今から10年後は何をしていたいですか」と聞かれましたが、
私はデモに参加したり、セミナーを開いたり、ラディカルなことをやってたいです。
少しでも日本を変えるために。
命って大切にするものじゃないと思うんです。
常に安全圏にいなくちゃいけないとか、そういうものじゃないと思うんです。
安全圏にいたい、少しでも長生きしたいっていうのは動物的本能の一部です。
でも私が思うに人の命は、危険に晒すためにあるのです。
人が動物と違うのはその一点だと思います。
だから兵士は戦争へ行き、宇宙飛行士は宇宙へ行き、チベット仏教の僧侶は焼身自殺をする。
これがいいことかどうかは別として、人間の命は、確実に、メッセージを伝えることができます。
あるメッセージが、自分の命より大事だと考えることができるのです。
私は今若く、血気盛んで理想主義的なのかもしれません。
でも自分の人生に今後意味を見出すには、やっぱりある理想、あるメッセージのために生きるしか道は残されていない気がするのです。
この場合、明確な成功の基準というのはもはや存在しない気がします。
バーニー・サンダーズのように有名になる必要はないし、
iPS細胞を作った田中教授のようにノーベル賞を受賞する必要はありません。
なのでこれからは成功でなく、自分のメッセージを伝えるための試行をすることが、人生の目的となります。
私は格差是正の論理的な主張のために必要となるリクツや知識を身につけなくてはなりません。
その手段の一つとしてやはり海外に留学したいです。
今大学のゼミや授業でやっている内容を精一杯吸収したうえで、語学の勉強をして海外に行きたいです。
そしてそこで身につけた知識を、人々の役に立てたいです。
私は、決心します。
私のこれからの人生はもう一生成功であることが保証されます。
どんなに貧乏で飢え死にしそうになっても、私はそのメッセージのために生きているがために、自分のしてきたことが正しいことを、常に確信できるのです。
私のこれからの人生の目的は、いい暮らしをすることではなく、
自分のメッセージのために生きることなのです。
今まで散々捨てたがってた命です。
でも、この命を、自分の思想のために使えたら。
自分がやっていることが実際にどれぐらいの変化を起こしているのかは、今後多分はっきりとはわからないだろうと思います。
でも自分のやっていることが正しいと思えて、孤独でも、より良い社会のために日々を使えたら。
私はカルトに入りたいとか思っていましたが、結局は目的が欲しいんですよね。
でも私にはもともと目的があったのです。
自分の目的を遂行するためだけに人生を使えたら。
これってすごく贅沢なことだと思います。