母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

As good as dead

朝目が覚めて今日はなにを失うのだろうと考える。
時間を失う。
若さを失う。
得た能力を忘れていく。
限りある精神の寿命が削れていく。
失うだけの日々。
なにも得るものはない。
認知症患者みたいに自分を構成するものが毎日欠落していく。
でもこれって死にたい私にとっては都合のいいことかも。
もうすぐ21だから人生の体感時間はもう半分過ぎている。
この世にお別れをいう準備を始めるべきなのかもしれない。
なぜこれほど多くの苦難を20にして受けなくてはならなかったのか?
普通あり得ないような話。
母も父も20のときはこれほど苦しんでなかった。
私は人生を早送りで生きてきたのかもしれない。
だから、死ぬ時も早まるのかもしれない。
もう一生分の苦しみを味わった気がする。
親の死なんて早くても40代が相場でしょう。
それを19で経験した私。
能力を得るのではなく失っていく段階にきました。
多分私の寿命は40ぐらいだと思います。
がんの特効薬ができましたが、治療拒否ぐらいならできるはずです。
がんになるかどうかはわかりませんが、がんの家系ではあります。
死ぬということは本当の意味で全てを失うということ。
能力を失うのはもちろん、愛する人とも話せなくなる。
なにも食べられないしなにも見えないしなにも聞こえなくなる。
身体が存在しなくなるから身体で何かをするということが不可能になる。
精神の方はどうか知らないけど。
死ぬことを受け入れるためには、執着を捨てないといけない。
もしかしたらそれが人生の最終レッスンかもしれない。
生まれながらにいた親を失うこと。
健康を失うこと。
得た能力を失うこと。
サローヤンが言ってましたね。
「死が必然なのと同じように生も必然だ。
地球も人もその他の生き物も必然だけど、長い間地球に留まれるわけじゃない。
これについてはあまり悲しむ必要はなくて、むしろ好きなだけ楽しめばいい。
根源的に愉快なことのうちの一つだし、笑いに変えられる可能性はいくらだってある。
生きてる人は死んでるのとほぼ同義だと考えれば、人のやることの多くは非常に滑稽だと思えるね。しかし作家のための一番のアドバイスはおそらく深呼吸して、食事をするときは本当に味がわかるようにして、寝るときはぐっすり寝て、笑うときは大笑いして、怒るときはちゃんと怒る。生きることを最大限感じるということ。すぐ死んじゃうからね」
私たちは死に、忘れ去られる時が必ず来るでしょう。
それなのにあくせく働いたり、苦悩したり、頑張るのは滑稽ですよね。
私たちの苦悩は馬鹿らしい。
根源的に愉快なこと。
全てが終わるということ。
人間喜劇ですね。
むしろ失うということは歓迎するべきことかもしれませんね。
それだけ人生が終わっていくということです。
悪あがきをせず、ただ失うことを受け入れる。
死ぬプロセスなんだと、受け入れることが大事ですね。
苦労して頑張った人はぽっくり死ねるらしいです。
私は本当に苦労してきたなあ。
多分、神様が私を呼んでいるのだと思う。
早いうちにやるべきことをやっちゃって、もうこっち帰ってきなさいって。
私の本当の帰る場所。
地上の家は所詮まやかしです。
地上の家族も学問も恋人も全部おままごとみたいなもんです。
本当のお母さんは、別のところにいる。
本当のお母さんは、別のところでいつまでも私のことを待っていてくれるから。
本当のお母さんにまた会えるのを楽しみにしてます。