母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

大成功

今日はゼミで自分の卒論の構想の発表をしました。
昨日今までに書いたものも先生に提出しました。
ゼミに出席しない代わりに提出する約束だったので。
英語で2500語程度でしたが先生、読んでくれたみたいです。
一日でよく読めたなあと思いました。
4年生の先輩の卒論も読まなくてはならなかったらしく、昨日は合計300ページ以上も読んだそうです。
なんかかわいそうなことをしてしまったなあと思いました。
でも先生にかわいそうなんて思っちゃダメですよね。
先生はそれが仕事なんだから。
そのために先生になったわけです。
彼はプロですから、平気なはずです。
だから同情なんてしちゃダメです。
とにかく、先生は私の今まで書いたものを読んでくれました。
卒論の構想は1、2、3、4と章立てしましたが、
3章までは内容はオッケーだと承認をいただきました。
4章では「では自由意志について私たちはどう考えるべきか」みたいな話にしようとしていたのですが、
「大きな話をすると大変だからあくまで作品について書きなさい」と言われました。
やっぱりなーと思いました。
私が先生に提出した2500語のレポートは、形式はちゃんとしてなくていいと言われたので、
私がちょろっと書いた端切れみたいな文章も含めてたのですが、
その端切れみたいなところをピックアップしてくれて、
そこをもっと書いたらいいと言ってくれました。
先生ってやっぱりいい人だなあ。
「教員失格」とまで前は貶しちゃったけど、
先生そんなところまで注意深く、しかも英語で読んでくれたんだ。
ありがとう。
「訳を作れ」とか、「英語じゃ受け付けない」と言われれば日本語で書いていたんですが、
何も言われなかったので英語で書くことにしました。
まあ元はと言えば先生が「この大学の学生は英語レベルが低い」とバカにしたから悪いんですけどね。
でも先生、さすが。
私とちょっと似ているのかもしれない。
最初に大見得を切るから、結局高いレベルのことをやらないといけなくなる。
今思うと私も無茶言ってましたよね。
「うちの大学をバカにするんだったら世界ランキング上げやがれ」
「先生が論文をもっと英語で書けばランキング上がるだろ」と。
先生忙しいのにそんなことを言って。
でも根本的には正しいと思います。
この大学の世界ランキングが低いのは研究のレベルが低いからです。
この大学に所属する研究者として先生にも責任があります。
でも先生が研究を進められないのも、ゼミ生の面倒を見ないといけないからかもしれませんね。
決して先生が論文書きたくないわけじゃなくて。
大学側がなぜゼミ・卒論を必須にするのか理解し難いですね。
学生もほとんどは嫌がるし、先生も嫌なのに。
もはや思想的理由ですよね。
ゼミに入り卒論を書くことが学生の成長に繋がると。
そういう考える力を持った立派な卒業生を輩出したいという大学の思想ですね。
有名私大ではゼミや卒論は任意、もしくは無いところがありますが、
これはやっぱりやる気のない学生には就活に集中してもらい、
教員の負担を減らし研究に集中させ、
大学のブランドイメージを高めて利益を上げるべきだという思想でしょう。
やっぱり違いますね。
教員側としては多分後者の方に就職したいですよね。
でも私のゼミの教授は彼の分野では非常に有名な人だそうです。
そんな人にこれほど丁寧に見てもらえるなんて、やっぱり私は幸せ者ですね。
「ここに来てよかったと思わせる努力をお前がしろ」と怒りのメールでは書きましたが、
先生ちゃんと努力してますね。
私の大学では楽なゼミだってあります。
そういうところはゼミの先生が学生の面倒を見たくないんでしょうね。
学生にも人気ですが。
私のこのゼミは大変なコースの大変なゼミなので、
最初の段階では定員割れしていました。
私は第一志望にしていましたが。
やっぱり私の目に狂いはありませんでしたね。
「この先生のゼミにいれば研究者としての基本が身につく」とも他の先生にも言われました。
他の先生だったらここまで自分の能力というか自分らしさをひきだしてもらえなかったと思います。
なので嬉しいです。
ここまで自分のことを受け入れてくれる先生、ここまで向き合ってくれる先生、
なかなかいないと思います。
先生も体張ってますね。
やっぱり嬉しいなあ。
10月、11月と、歩行障害になりながら必死で考えた甲斐がありましたね。
大泣きしながら学校から歩いて帰った甲斐がありました。
「自分らしさを出して書きなさい」
「自分が伝えたいものが何なのかをはっきりさせなさい」と最初に言われましたが、
見事、自分らしさの出た卒論の構成と問題設定を考え抜くことができたということです。
これは大きいですね。
夏休みの宿題はダメでしたが、そこから巻き返しました。
しかし嬉しいなあ。
他の学生は未だに「自分らしい観点」「自分なりの問題設定」を見つけるのに手こずっていました。
私は早いうちにその重みを理解し、取り組めたので、
わかったんだと思います。
私は周りより遅れをとっている状態から始めて、
だんだん巻き返していくというのが常のような気がします。
やっぱり私、若いんですね。
パワーあるんですね。
いや、「周りより遅れている」という危機感があるからこそ、頑張れるのかも知れません。
私が有利な英語の授業とかだと、
私が一番よくできるので手本を見せないといけないみたいな風潮が生じて、
それも大変ですが、
どっちにも共通するのは、「できなかったことができるようになるのが嬉しい」
ということですね。
いや、英語の授業だと、できるのは運任せのような気がします。
何をどう努力したらいいのかわからなくて。
どうせ一番だし、努力するインセンティブもありません。
たまたま運よくできたときは嬉しい。
運悪くできなかったときは悲しい。
でも、周りの人たちを手助けできるのは、いつもうれしいですね。
なので、優等生より劣等生やってる時の方が、
常に前進してる感じがして、充実してるかも知れません。
余裕ある時しかこんなこと言えませんけどね。
実際に劣等生やってるときは生きた心地しません。
でもその恐怖が、今まで私の背中を押してきたわけです。
まだプレ卒論、完成してないので、
油断せず、期限に間に合うように書きたいと思います。