母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

書物とのブラインド・デート

今朝、処方されていた抗不安薬を飲んだので、日中眠くて仕方ありませんでした。
昨日は朝飲み忘れていましたが、昨日の方が調子が良かったです。
今日は2限が終わって、家に帰って、お昼を食べて、
気がついたら寝ていて、起きたらちょうど5限の授業に出頭する時間でした。
5限の先生、言ってることがよくわからないんですよね。
レジュメも出来が良くないし。
若い先生だから仕方ないですね。
単位認定も緩そうだし。
私のゼミの先輩らしいです。
同じ先生の弟子です。
彼の研究は知りませんが、教え方には十分改善の余地がありますね。
出るのが毎回面倒ですが、今日は出席者が半分を切っていました。
本当はこの先生のレポート課題を早いところ終わらせて片付けてしまいたいのですが、
今日はなんだかいてもたってもいられなくなって、
5限の後一旦家に帰ってから大学の図書館へ再び向かいました。
なぜ一旦帰ったかというと、どうしてもチョコレートが食べたかったからです。
よくわからない授業を聞きながら、家にある業務用板チョコを夢想していました。
業務用なので最初は横幅70cmぐらいはあったと思います。
今は20cm四方ほどにまでなりましたが。
これをどうしても頬張りたい。
普通の一枚50グラムの板チョコじゃダメだ。
一口サイズのでもダメだ。
厚さは1cmほど。
これをバリバリ食べたい。
私は授業が終わってうずうずしながら家に帰りました。
チョコをバリバリ食べました。
美味しかったです。
しかし食べて満足すると、すぐにまた大学へ向かいました。
なんだか本が読みたくなって。
授業のためじゃない、適当に本棚から面白そうな本を手にとって、
ひたすら読みたい。
そう思って私は大学の図書館へ向かいました。
本棚を前に、遊園地に来たような心境でした。
こんな気持ちは初めてでした。
私はまず英米文学のコーナーで何冊か手にとって読んでみましたが、なんだかどれも面白くなくて、
日本文学の方に行ってみて、
そしたら翻訳の面白そうな本があって、
野菜・果実とエロティシズムとかそういう本でしたが、
ちょっと座って読んでみればひたすらいろんな種類の野菜や果実を女性の脱衣だとかそういうのになぞらえてるだけの本で、
元の作者の名前をみたらフランス人で、
さすがフランス人だなと思い本棚に戻しました。
次の本は、『死刑文学を読む』という本でした。
これは一気に半分ぐらいまで読みました。
対談方式の本は私は普通読まないのですが、
これはなんだか読めました。一人のいうぶんが長くて。
前半は永山則夫の文章について二人の人が語り合っていました。
私はその二人の筆者についてなんら調べずに本を開いて読んだので、
そこのバクチ加減が楽しかったです。
どういう人間なのかも知らずにその人の言っていることに傾聴する。
その人がデタラメな人なのかどうかも知らずに。
そこのバクチ加減がいいですよね。
いわば書物とのブラインド・デート。
作者や筆者とのブラインド・デート。
つまらなければ棚に戻せばいいだけ。
しかも本を読むのはタダ。
いいですねえ。
明確なメッセージがあるから生身の人間と同じだけの時間を過ごすよりも生産的。
でも生身の人間といるのとは別の楽しさ。
生身の人間が面白いから、私は彼氏とか作るわけだけども。
私は今日、永山則夫という人の存在を初めて知りました。
私が少し前、「大量殺人をして死刑囚になりたい」みたいなことを書いてた時期がありましたが、
その時に読んだら良かったんじゃないかなと思いました。
彼は実際それをやり遂げてる人ですからね。
今は私は向精神薬を飲んでいるので、
そんな風には考えてません。
今の先生に処方された向精神薬を飲み始めてから、
自責の言葉とか自分に対する攻撃がほぼ止んで、びっくりしています。
普通の人ってこんなに心内穏やかなの!?と。
それはそれで嬉しいことですが、
永山則夫の『無知の涙』を少し読んでみて、
彼と私は似たようなことを考えていたなと思いました。
私も薬を飲まなければまたあの状態に戻るでしょう。
でも、その時の方が私は人間らしかったというか、
今は武器を手にすることすらできなくなったような気がします。
永山則夫は中卒でも、獄中で多くの本を読み、
辞書を使いながら一言一句にこだわって、文章を書いたそうです。
声なき労働者だった彼が、人殺しをして、
初めて芸術的自由とオーディエンスが与えられるなんて、
なんだか皮肉だなと思いました。
しかし彼の読んだ本のリストをみて、
私の大学の学生でこれほど読書をしている人間がどれだけいるだろうと思いました。
大学図書館があっても、こんなに多くの書棚がずらりと並んでいても、
自主的にデカルトやカント、ヘーゲルマルクスを昔の硬い和訳で読もうとする人がどれだけいるでしょうか。
彼はその点ですごいなあと思いました。
彼は生まれが極貧だったので高等教育は受けられませんでした。
その一方で私は恵まれていたので特に望みもしないのに大学に入りました。
結果として大学図書館を使えたり、卒業論文を考えたりできていますが、
完全に運ですよね。
私はなんだか申し訳なく思いました。
彼が『無知の涙』を書き始めたのは19歳の時です。
私とほぼ同い年です。
この本はもっと読み進めようと思いますが、
同い年ぐらいだとわかるとなんだか安心しますね。
私が今後文学研究をやるとなると、
日本やアジア文学にも目を向けた方がいいので、
とりあえずその点でも日本人の書いた文章を読むのはいいことだと思います。
今まで私は日本語に関して何も特別な気持ちを抱いていませんでした。
英語を学ぶのに邪魔。
日本人の作家はつまらない。
英米文学こそクラシックであり名作なんだ、
日本文学に名作なんぞありゃしないと、
そういう風に思っていたので中学以降はほぼ読みませんでした。
でも私の母語です。国語です。
日本人の研究者として生きていく以上自分の国の文化、文学を理解する必要があると思います。
日本の文学でまともに読んだのは、
安部公房の『箱男』
最近読んだ太宰の『斜陽』『ヴィヨンの妻』ぐらいですね。
あとは昔読んだ宮沢賢治、萩原朔太郎。
井伏鱒二の鯉についての短編。
国語の教科書に出てきた話はほぼ忘れました。
町田康が好きで彼のエッセイは多く読みましたね。
これは文学扱いにならないかもしれませんが。
彼も図書館でのブラインドデートで探し当てた人です。
小学生の頃に見つけました。
小学生の頃は毎週図書館に母親と行って、
日本語の本を多く借りて読んでました。
子供向けの本がほとんどでしたが、母の趣味で室井滋のエッセイだとか、
中村うさぎだとか、そういうのも読んでました。
今思うとそんな下劣なの読まない方がいいと思うんですけどね。
『西の魔女が死んだ』とか『蹴りたい背中』とかそういう話題作も読みました。
あんまり記憶に残ってないけど。
エッセイをよく読んでましたね。
椎名誠とか。東海林さだおの丸かじりシリーズとか。
今思うと渋いセレクションですよね。
趣味が完全に昭和というか。
私の懐古趣味はすでに小学生の頃から始まってたのかもしれません。
私の趣味は区立図書館の配架によって定められてしまったのかもしれない。