母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

昨日見た夢が未だに忘れられません。
昨日、夕食のあと10時ぐらいからウトウトして1時ぐらいまで浅い眠りについていました。
電気をつけたまま。
目覚める直前に見た夢です。
トイレの中に私はいて、ドアが半開きで、
半開きになったドアの外に母親が立っていました。
私はその母親に「死ね」と言いました。
母親はなんとも言えない表情をしてすぐにドアを離れて行きました。
私が慌ててドアを開けると、
彼女の歩き方が変で、
なんか鳥のまねみたいに腕を曲げて手を横にプラプラさせて、
ガニ股なんだか内股なんだかよくわからない歩き方、
街でたまにみる歩行障害者みたいに私に背を向けて歩いて行きました。
私は「これから首を吊るんだな」と思ったところで目が覚めました。
その夢では大学に対する不安とかも感じていたので、
ざっと母親が死ぬまでの2年間を数秒にまとめたような、
そんな夢でした。


目覚めた時は、「目が覚めてよかった」と思いました。
薬がまだだったので、処方された薬を飲んで、また寝ました。


母親が死んで私が得たこの満ち足りた生活。
金に困ることは当分ないし、
父親と関係は良好だし、
祖母とも一緒に時間を過ごすようになったし、
授業もたいして難しくないし、求められるものは少ない。
先生はみんな私に優しくしてくれるし、
友達も友達の家族も優しくしてくれるし、
ボーイフレンドまでできそう。
何一つ不自由ない生活。
冷水を浴びせられたような、
そんな感じがしました。
この安寧はどんな犠牲の上に成り立っているか、
私は忘れていました。
私の犯した罪。
それは自分のすることが母親を傷つけないだろうと思っていたこと。
母親は共感を必要としていないし、
共感することはできないと考えていたこと。
母親を頭の中で怪物化していた。
絶対に倒せない、人間じゃない何か。
私は母親をそういう風に考えていました。
いや、本当は母親がアパートの14階に上がって、
私が慌てて追いかけて行って、
二人で話した時に少しだけ母親の人間の部分が見えた気がした。
でもそれも警察を呼ばれ家を追い出されてからまた、
母親は怪物だという確信を強めてしまった。
彼女は死んだ後もずっと怪物でした。
共感できない、人間じゃない、
陳腐な言葉か暴言しか吐けない壊れたラジオみたいな。
私は母親をこういう風にしか考えられませんでした。
だから死んでも私のせいじゃないと思ったし、
特に悲しくもなかった。
でも昨日、あの夢をみて、
母親をもしかしたら私はひどく傷つけたんじゃないかという気がしました。
今まで、そんなことあり得ないと思ってたんです。
その可能性は頭からシャットアウトしていました。
母親は人間じゃない、
私が何を言おうと傷つかない、
もしくは傷ついたとしても自業自得だ、
私の方がずっと辛いんだ、
私の人生をめちゃくちゃにしやがって。
そういう風に思ってました。
この夢では母親が一人で、
アパートの14階から下を見下ろしてウロウロウロウロ、
飛び降りようか飛び降りまいかと、
迷っているところをみた時と同じ感じがしました。
「おかあさん」と私は思わず呼んで駆け寄って行きたくなりました。
しかしそうする前に目が覚めました。


母親に関する全ての不快なことが、
食べ終わった後の皿のように片付けられて、
まっさらなテーブルクロスに新しい料理が並べられ、
私はそれを喜んで食べた。
何一つ不自由ない生活。
一つ屋根の下に住んでいたからこそ、
私は母親の人間性を見失った。
母親は家に住んでいる怪物だと思っていた。
怪物は小さな棺におさめられ
警察署に何日も置かれていたために腹はガスで膨らんでいた。
見たこともないような厚化粧をさせられて
鼻の穴の形だけが、前と変わらなかった。
私が乳を飲んでいた頃に見上げた時に見えた鼻の穴の形。
母の撮った動画の中の1歳の私。
野原を、父と母の間を行ったり来たりしていた私。
そんな私に「自殺しろ」「死んで償え」と言われた母親。
母親になったことを後悔しただろうな。
後悔先に立たず。
だから子供は産んじゃいけない。
いや、子供を産んじゃいけないんじゃなくて、
相手に対する共感を失うほど関係を悪化させちゃダメってことだ。
ただそれだけ。
私はその教訓を学ぶためだけに母親を失ったのか。
私だってこの教訓を母親に教えるために死んでいたかもしれないのだ。
お互い必死だった。
食うか食われるか。
結局母親が死んで私にこの教訓を残した。
一回忌以来初めて、母に手を合わせる。