母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

生きてれば

今日、授業で日本語のスピーチの朗読をしたのですが、
それをいつもやっている朗読スタイルでやったら、「いつもと全然違う」「アナウンサーみたい」と驚嘆されました。
私は日本語の発音が悪いと小さい頃よく言われていたので、一人のときに日本語の文章を朗読したりしていました。
落ち込んでいるときに現実逃避のために本の朗読をして、
録音したものを聞いてどこで噛んだか、どの漢字がわからなかったかを振り返ったりしていました。
朗読が上手くなったということでしょうが、なんか趣味がバレてしまった感じがして少し恥ずかしかったです。
でも全く噛まなかったので自分でも少しびっくりしました。
この授業は英語と日本語の授業です。
最初は10人以上受講者がいたはずなのに今は5人です。
結構ハードな内容なので。
先生に「この授業にはあなたはもったいないと思う」とも言われましたが、
これ以上日本語と英語を活かせる授業が見つからないんですよね。
訳を作ったり通訳したりするので。
でも考えてみれば私の国語も地味に上達したな。
大学に入った当初は日本の大学の授業についていけるのかと心配でしたが、
なんだか気づかないところで国語力が上達していたことに気がついて、嬉しいです。
例の『無知の涙』の本ですが、
図書館は私に金を請求することなく、修理して私にまた貸し出してくれました。
なんて優しい図書館だろうと思いましたね。
でも手に戻った本を見たら、どこをどう直したのかわからない、とりあえずまたくっついているけどまた崩壊しないかと心配になるつくりでした。


今日はゼミにも出ました。
ゼミは最近では周りの学生がいかに卒論が進んでないかを見学する時間になってます。
今日発表した男子は、そもそも論文の根拠となる本を読んでいなくて、
図書館で返却を滞納しているせいで貸し出しが禁止になっているため、
バイトの給料が入るまで本を買えないので卒論がかけませんと開き直っていました。
私と同じ大学の同じゼミでもこんな奴がいるんだから不思議だなと思いました。
私はそんなことを言われる大学の先生が可哀想に思いました。
しかし先生は、そんな奴にもかなり優しく対処していました。
先生は人格者だなと思いました。
私だったら「ありえないだろ!!単位やらないぞ!!」と憤慨してると思います。
その学生は外資の就職を目指している男です。
口をひらけば就活、就活。
調子の良さ以外はなに一つ取り柄のない奴です。
こんな奴の面倒も見てやらなければいけない先生が可哀想でした。
こんなのと同じ大学にいる自分はなんて学力が低いんだろうと悲しくなりますが、
私はせめて大学を学びの場として有効活用できているので、そこはラッキーだと思いますね。
学問の楽しさというか、大切さを学べた気がします。
どんな仕事よりも学問が大事じゃないかと、そう思います。
でもこう見ると、大学って動物園ですね。
高校卒業時の大学受験レベルの知識で人が割り振られる。
入って来た奴はどんなに学習意欲が低くても面倒を見なくてはならない。
大学の先生って恐ろしい仕事ですね。
その点ゼミが必須でない大学ではそれなりにやる気のある生徒がゼミにやってくるのでしょう。
ゼミと卒論、必須にするのやめたほうが先生にも生徒にもいいと思うんだけどなあ。
でも先生は卒論で落とした人は今までで3人しかいないと言っていました。
そのうち二人はなんだかんだで4年で卒業させたらしいです。
先生はなんて優しいんだろうと驚きました。
私の悲観的バイアスがいかに根拠のないものかがわかりますね。
私は「卒論が書けなくて卒業できないだろう」と一時期本気で思っていたので。
しかし私はなんだか、えらく真面目にやって来たんだなあと思いました。
もっと自分に自信持っていいのに。
もっとリラックスしてやってればいいのに。
私はアパートに未だにある、自殺用に買ったヘリウムの大きな缶をみてそう思いました。
あの取り柄のない男の家にはこんなもの、置いてないんだろう。
あいつは実家暮らしだからな。
なんで自分だけこんなに苦しんで来たんだろう。
苦しみがさらなる苦しみを呼んだ気がする。
私がこれほど悲観的な性格じゃなかったら母親をあれほど追い詰めなかっただろうし。
いや、母親が私をこんなに悲観的な性格に育てたからか。
最初から決まっていたのかな。


しかしゼミのあいつはお先真っ暗だよなあ。
外資に就職できたとしてもチビだし、顔も良くないから女にモテるわけがないし。
体育会系ってわけでもなさそうだし。
しかし調子はいい奴だから世渡りは上手そう。
飲み会の幹事もやっていたし。
あいつは親が中卒らしいから、大学に入れて大手企業に入れるだけで嬉しいんだろう。
ああいうやつがプレジデントとか読んで喜ぶんだろう。
バカらしい。
でも彼は心優しい人間だと思う。
だから完全には憎めない。
私がここまで彼について考えてやっている時点で彼は存在感のある奴なんだろう。


私は小学校の間は慢性的にハブられていました。
中学校の時は不健全な友人関係しかできませんでした。
高校になってやっと健康的な友人関係を築けるようになりました。
大学になって私は友達がいなくなりました。
というか自分からせっかくできた友人を切り捨てていきました。
ゼミに入ってから、「キャラが濃い」と言われるようになりました。
高校までは存在しないもののように扱われていたのに。
やっぱり民度の違いでしょうか。
大学はいい奴ばかりでした。
高校の時のクラスの5分の1がまともだったとしたら、
大学では9割がまともです。
見た目はキワモノでも中身はちゃんとしているなと思うことが多いですね。
こいつらともあと1ヶ月足らずの付き合いか、と思うとなんだか悲しいですね。
せっかく周りの奴らがまともなのに私は友達を作ろうとしなかった。
友達の輪を広げるどころか0にしてしまった。
まあ仕方ないな。
友人は必要な時に見つかる。
在学中色々つらいこともあったし。
でもまだ卒業するわけじゃない。
まだまだ卒論は書かないといけないし、
無理をしない程度に頑張ろう。
先生たちと会えただけでも、よかった。
というか二度目の自殺未遂をしなければ父親と会えていなかった可能性が高い。
父親と会うようになってから確実によくなったと思う。
父親は大学在学中に全く勉強しなかったことを後悔しているらしいです。
だから私には先生に質問に行ったり、難しい授業でも受けてみるよう促しました。
私はそのおかげで研究者という道が存在することがわかったのです。
父親と会ってなかったら絶対に考えもしなかったと思います。
母親が生きていたら絶対に反対されただろうし。
やっぱりこれがベストな道なのかな。
自殺の誘惑は常に道端の石ころみたいに転がってますが。
私が自殺したら母親は無駄死にでしょうか。
母親は別に私に良い人生を提供するために死んだわけじゃないので、それは考えても無駄かもしれませんが。
生きるってそんなに大変なことじゃない。
大丈夫、私は自分に今までプレッシャーかけすぎだったんだ。
そのままじゃ身がもたないよ。
つまづいたって大丈夫、生きてれば。
そう祖母だって言ってたじゃないか。
でもやっぱり死にたい。
いいのよ、死にたくっても。
夕食後の薬がまだじゃないの。
飲んで早く寝ちゃえば。
そう言ってくれる母はいません。
だから私が代わりに言ってやるしかありません。