母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

一人じゃない

昨日は合計12時間ぐらい眠りました。
朝11時から午後4時まで。
夜12時から朝8時まで。
昨日はゆっくり眠れて良かったけど、全く運動しなかったので、
今日は外を歩くためだけに歩きました。
いろんなカップルがいましたね。
ほとんどは子連れですが。
子連れじゃないカップルは都心にでもデート行くんでしょうね。
でもうちの大学の学生らしき人たちはいました。
クリスマスイブに一緒に歩いている男女は付き合っている確率が高いので、
路上調査としては有効な日ですね。
私の目的は全く路上調査じゃなかったんですけど。
1万歩目指したけど、ダメでした。
咳がやたらと出ました。
帰ってきてからもちょっとひどくなって。
やっぱり無理はしちゃダメですね。
歩いている途中からちょっとペースが落ちて、なんか歩行障害になった時みたいになりました。
公園では、地面に落ちた枯葉が風に流されていって、
それがなんだかとってもきれいでした。
真っ青な空の元で。
公園にいる人は他は子連ればっかりでした。


家ではシュヴァンクマイエルのアニメとか、ミスタービーンとか見てました。
でもやっぱりシュヴァンクマイエルの方がいいですね。
色々考えさせられるので。
YouTubeを見ていたら、いつのまにか拳銃自殺未遂をした人のドキュメンタリーにたどり着いていました。
Coping with our daughter's new face - BBC News - YouTube
この女性はすごく美人な人だったのですが、
18の時に失恋、そしてその時の勢いで拳銃自殺。
しかし銃弾が脳を外し、顔が「こっぱみじん」に。
私はこの人のビフォアーの顔を見てびっくりしました。
私の高校の同級生に少し似ていたからです。
完璧な目鼻立ち、大きくてきれいな口。
私は、もう存在しないかつての彼女の顔の写真を見て、なんてきれいだろうと思いました。
「アフター」の彼女は、顔面移植を受けたようですが、
それでも以前あんな美人だったとは全く想像のできない感じになっていました。
拳銃自殺をするところまで思いつめた人間の顔。
なんの欠点もなかった顔。
私は美しい女性は本当は嫌いなんですよね。
その人の顔を見る時、私は心のどこかで、「この特権階級が。」という怒りを感じます。
しかしそんな人に思いも寄らず優しくされると、コロッとその人のことが好きになっちゃう。
こんな虫けらのような私にも優しくしてくれるなんて、なんていい人だろうと。
でもそれもまたパワーバランスによって作られた好意ですよね。
汚い好意。
その人を見ずにその人の外見しか見ていない私の一方的で独善的な好意。
美人ってこういう迷惑な好意に悩まされるんでしょうか。


でも彼女の顔がもう存在しないとわかると、私は初めて敵対心を抱くことなく、美しい人の顔が見れました。
彼女の移植を受けた顔もまた、オーバードースで亡くなった女性の顔でした。
この方もとても美しい人でした。
美しい人でも悩むんですね。
いや、他の人が痛みを想像できないからこそ美しい人って悩むんでしょうか。
私は美しくないから、わかりません。
でも、私の今までのトラブルって、私が美しかったら避けられた問題だったのかな。
親が離婚するとか。母親に精神的に追い詰められるとか。
大学選びに失敗するとか。
うーん、さして関係ないよな。
私が美しかったら違っていた可能性もなくはないけど。
美しくて頭のいい人って、"Duck syndrome"と言って、
水から出ている部分はすいーっと平和で全く努力してなさそうでも、
水中ではものすごく頑張ってバタ足している。
それで本当は大丈夫じゃないのに、まるで何でもないような顔をして、
常にパーフェクトでなければいけない。
そういう風に思っていることがあるらしいです。
誰にも相談できる人がいなくて、
好意を寄せてくれる人も所詮自分の外見が好きなだけで、自分がいつも見せている自分とは違うことを知られたら私から離れていくだろう…
そういう風に思っちゃうのかもしれません。
やっぱりあの同級生も努力してたんでしょうね。
努力してないように見せるのがうまいだけで。
彼女もある時つまづいて、辛くなるのかもしれません。
今も辛いのかもしれない。
でも彼女の痛みは私は見ない。
見ようとはしない。
だってわからないんだもの。
人間って何が何でも孤独なものなんですかね。
人間って根本的にお互いを理解できないものなんですかね。
まあ私は心が歪んでいるので、美しい人間はそれだけ苦しめばいいと思いますけどね。
だからはっきり言ってこの動画を見つけて嬉しかったです。
ああ、これで美しい人が一人減ったなと。
なおかつ彼女が歪んだ状態で残っているというところがポイント高いですね。
「美人だった人」が残っているのはいいですね。
単に死んだ美人っていうのは死ぬまで美人だったってことなんで。
クリスマスイヴになんていう投稿だと自分でも思いますが。
他の方のブログを読んでいて、
国立大の医学部に受かったのに部活関連のトラブルで自殺した子供について書かれたブログがありました。
私はその自殺者の苦しみがどうしても理解できませんでした。
私はこういう頭が良くて恵まれた人間を無条件に憎む癖があるので。
「どうせ私みたいな凡人を見下して嘲り笑っているんだろう、お前らいつかぶっ殺してやるからな」と私は思います。
いやー恵まれた人間の不運に関して読むのって清々しますね。
元から失うものが少ない私のブログを読んだって大して清々しないと思います。
読者さん、すみません。
でも私みたいな自己愛性人格障害のクレーマーがのうのうと生きながらえてるんだから、嫌な世界だよな。
いや、ピュアな子供を自己愛性人格障害のクレーマーに育て上げた世界がおかしいのか。
「どうせ死ぬなら人殺しをして死刑囚になって国家の金で死んでやる」って発想はなかったのかな。
本当、自殺したい人は無差別殺人をして死刑囚になってからでも遅くはないと思います。
この人たちも私ぐらい人を憎めたらいいのに。
憎しみ、妬み、被害妄想、自己正当化で私はエンジン回してますからね。
でもある意味、それだけ私は幸せなのかもしれない。
私は先生に直接クレームをつけたから、学生相談室に連れて行かれた。
かなりきつく言ったので、先生も態度を改善してくれた。
クレームをつけなかったら私が辛いということもわかってもらえなかったと思います。
学生相談室に連れて行かれたおかげで、私は精神科にまた通うことになった。
それで薬を服用し、今なんとか休学せずに生きてます。
私の最大の力は発言力ですね。
私が「価値がない」と思っている自分の言語能力も、意外に役立ってますね。
先生をメールで罵倒したり、英語で卒論を書くという嫌がらせをしたりできてます。
またもちろん、このブログでも糞を垂れてます。
なんか遠慮がなくなってきたな、このブログ。
でも元は私、国語危うかったんです。
読んでる人は何気なく読んでるかもしれないけど、自分としては成長の証なんです。
高校の時はこんなに文章は書けなかった。
私、友達も恋人も親もいないけど、今結構幸せです。
精神薬飲んでるからかな。
でもやっぱり一番大事なのは、「一人じゃない」と認識すること。
実際に完全に孤独な人なんてほとんどいない。
孤島の人間なんていない。
声をあげれば誰かが聞いてくれて、誰かが世話を焼いてくれる。
もしそうじゃなかったら、警察や病院に行って相談してみる。
「他の人や自分を傷つけちゃいそうなんです」って言えば、警察の人も話を聞いてくれる。
措置入院だって国がタダでさせてくれる。
たとえどんなに性格が悪くても、精神科医の人が話を聞いてくれる。
少なくとも日本では、みんな一人じゃなくていいようになっている。
絶対に一人じゃないから。
私の文章から勇気なんてもらえないかもしれないけど、
私が知ってることを知らないだけで死んでいく人がどれだけいることか。
私の母親も含めて。
声を上げるだけで、世界は動くんだ。
自分が思っていたような結果にならないかもしれないけど、
そこからどう動くかまた考えればいい。
私の場合、「自殺するぐらいなら死刑囚を目指す」ってことなんだけど。
それでもいいじゃないか。
思想は誰だって自由だ。
もしかしたら私のブログの数少ない閲覧者の中に辛い思いをしている人がいるかもしれません。
私は辛い人の味方です。
私も弱い人間です。
だから他の人に頼ってもいいんです。
一人じゃないんです。