母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

だるい

頭イタイイタイ。
骨のように乾いた人生。
何にもいいことはなかった。
なぜ私は全てを奪われなければならなかったのか。
頑張って頑張って今まで来たのに、
たどり着いた場所は何もない砂漠。
約束されていた安寧を奪われ。
なぜ全てを奪われなければならなかったのか。
おそらく母親の骨、全ての自殺者の骨がこの砂漠に埋まってるんだろうと思う。
私もいずれはそいつらの仲間入りするのかな。
この砂漠から脱出するまであと何年。
考えるだけでめまいがする。
脱出できるのかもわからない。
遠くの山を越えてもその先はずっと砂漠かもしれない。
いや、心の持ちようなのか?
目的地につくことじゃなくて、それまでの道のりが大事なのか?
道のりはなぜ楽しくないの?
道のりはまるで砂漠みたいなんだけど。
私歩き疲れたヨォ。
神様。
人生って他の奴らにとっても砂漠なんだろうか。
歩いても歩いても報われないゴールの見えない砂漠なんだろうか。
他の奴らにとっては遊園地なのか?
あれもいい、これもいい、
ああ、楽し。
そんな感じなのか?
そういう奴は成功していくからな。
遊園地か砂漠か。
私の人生も考えようによっては遊園地なのか?
全部苦しくて楽しくなかったけどなあ。
どうしても人生が「遊園地」の奴らと、
人生が「砂漠」の奴らがいると思う。
人生が遊園地の奴らと一緒にされたくない。
私は黙って俯いて砂漠を這う。
手足を奪われたヘビみたいに。
私がなんか悪いことしたのか??
なんで私の人生は遊園地じゃなくなったのか?
小さい頃は楽しかったな。勉強が。
今は苦行だ。
いや、もちろん楽しい時もあるんだけど、ほとんどの場合わからなくて自信がなくて苦しい。
砂漠で唯一見つけたものといえば、
学問という得体の知れないオアシスの蜃気楼。
しかし歩けば歩くほど遠のいていくように見える。
勉強苦しいヨォ。
20年ぐらいはニートしてても生活できる金はあるけど。
でも若さが惜しいか。
ちくしょう、若く産んでくれなんて頼んでないのに。
なんで私は失っていく一方なんだ。
時よ止まれ止まれ止まれ。
私はもう一歩も動けない。
先生はスタスタ歩いて行って私を待ってくれない。振り返ってくれない。
先生は家族もいて仕事もいっぱいあって幸せで順風満帆…
私なんかに言ったことも忘れてるかもしれない。
でもこんな先生、見失っても、
私が再び一人になっても、
別にいいのかもしれない。
通りすがりの人間にまた道を聞いて、
それで案外道がひらけていくのかもしれない。
大学院なんていく必要ない。
働く必要もない。
どうせ私にはできる限りのことしかできない。
何事にもキャパシティというものがあるから。
でもあのオアシスの美しさ…
私はあれをみなかったことにできるだろうか。
本読むのつらいけど。
ジョナサン・カラーの文学理論入門を原文で読んでます。
訳が良くないとアマゾンで書いてあったので。
でも頭痛がしてる状態で読むのも大変ですね。
こういう時音読すると読んだ気になるのでいいんですけどね。


はい、本を読むのがだるいという、
それだけのことを表現した投稿です。
私、ひょっとして大げさすぎ?
私の人生がつらいのは自分がオーバーリアクションだからなのかな。
もっと反応薄かったら他の人みたいになれるのかな。