母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

自由意志

はい、またインターンシップ選考先から祈られてしまった私です。
やっぱり想定していたとはいえ落ち込みますね。
これは自分が女だからなのか、学歴がダメなのか、
社会性がないからなのか、
グループ行動ができないからなのか。
多分どの理由も、ある一定の比重を占めているんだと思います。
ただ一番大きいのは後者二つだと思います。
そう思いたいです。
前者二つはもう自分ではどうにもできないことなので。
でも後者二つも自分でどうにかできるのかと言ったら正直微妙だと思います。
まあ受からないんだったら仕方ないですよね。
私は今まで不合格になるぐらいなら最初から受けないほうがいいと思っていたので。
せめてここまでチャレンジしたことは認めてあげるべきです。
また、今回のためにフェルミ推定の本を買って読みました。
そこまでたかが選考のために努力したのは我ながら偉いと思います。



私はおそらくGDのあるところは合格できないんじゃないかと思い始めました。
もちろん対策をすればある程度改善はされるでしょうが、決して得意にはなれないと思うんです。
場数を踏めばいいのかもしれませんが、私は根本的にグループ活動に向いていないんだと思います。
冬も再度受けたいと思っていましたが、やっぱり不合格という事実を前にすると少しためらいます。
何度受けても無駄なような気がするからです。
逆にこれを実験としてやっても面白いんじゃないかと思います。
GDなしでどこの企業に就職できるのか実験。
しかし私は面接でもポンコツなので(前は書類選考と面接だけのところにも落ちました)
個人面接にも100%受かるとは到底いえません。
でも先日話したその他大学の知り合いも、確実に手応えがあったところに落とされたりしていたらしいので、これはもう何が作用するのか全くわからないですね。
外銀やコンサルを狙っている人は本当にインターンシップには全社に応募するらしいですね。
私はその反面、無計画に適当に受けてみたい会社を受けてみただけだったので、不合格が多いのは全く自然なことだといえます。
しかもSPIなどの対策を全くせず、行き当たりばったりにテストセンターへ行き、テストを受けました。
でもそのような適性試験の課された3つのインターンのうち2つは少なくともテスト部分は通ったので、あながちできないわけでもないのかもしれません。
本当、学校推薦がなかったら一つしかインターンに行けてなかったので、非常にありがたいですね。
大学に感謝です。



私は面接とグループディスカッションで落とされています。
自分の人間的な未熟さがわかるんだと思います。
その反面ESを書く腕は飛躍的に上がったと思います。
昔は自己PRなど苦手でしたが、今では片手暇に書けるぐらいです。
ESで落とされることはほとんどありませんでした。(落とされたのは1件のみ)
今決まっているインターンも面接やGDなどはありませんでした。
でも本選考では最低でも個人面接はあるので、ゆくゆくは面接の対策はする必要があると思います。
というかこれは自分の人格の問題だと思います。
自分の振る舞い方というか。
でも人間の振る舞い方って、外的な要因に大きく作用されるんじゃないかと思います。
例えば、自分の声とか。自分の外見とか。
私は一時期風邪で声がかなり変わっていた時があったのですが、その時は振る舞いも言う内容も少し変わっていた気がします。
でもつまるところは小さい頃から形成された人格が今の選考の合否を分けているわけで、
それって自分ではどうしようもないことですよね。
再び自由意志のなさにぶつかってしまいました。
これからはもう少し若者らしい、はつらつとした受け答えを意識し、声を少し変えて臨んでみようと思います。
でもやっぱり自由意志はないんだと言うことを心に留めた上で、今後の就職活動を続けていこうと思います。
そっちの方が気も楽だし、自分を責めなくて済むので。



私は本当は会社の名前が通ってなくても、給料が低くてもそれほど文句はないんです。
ちゃんと食べていければ。
一番大切なのは、会社の人たちが優しいのか。
自分の知識と能力を活かせるのか。
落ち着いた社風なのか。
これら三つですね。
理想は私が前バイトしていた小さな会社ですね。
若い人は他に誰もおらず、みんな優しくしてくれました。
残業もありましたが、みなさんが優しくしてくれたのでそれほど苦にはなりませんでした。
まあつまるところは自分の気にいるかってことですよね。
これは人でも同じなんですけど、
自分のことを受け入れてくれるという項目が自分の中の条件として確実にあるので、
自分を受け入れてくれないところははっきり言って気に入りません。
父親からは批判を受けた価値観ですが、
まぎれもなく自分の価値観であることは確かです。
自分は今まで母親に受け入れられなかった期間が長すぎたので、
もう自分を受け入れてくれない人には構わないと、自分に対する批判は断固として聞き入れないと、ある時期からそう決めたのです。
そうしないと自分を守れないと私は思い始めたのです。
キャッチ22にあったように、
自分を危険に陥れる奴はたとえ味方の陣地の人間であっても敵だと。
私はこれを、
「自分を不十分だと、出来損ないだと思わせる人間はたとえ家族であっても先生であっても敵だ」という風に解釈しました。
そして今まで概ねこの解釈で今までを過ごしてきました。
今でも当たってると思います。
「お前は十分じゃないから、勉強しなきゃいけない」
「お前は太っているから、ブスだから、彼氏なんてできるはずない」
そういう風に母親から言い聞かされました。
振り返ってみると、これらは全くの嘘でした。
100%嘘でした。
でもその有害な嘘を、母親はおそらく、私のことを思って、もしくは無意識な悪意から吹き込み続けたのです。
いかに近しい人でも、有害なことを言ってくる人、有害なことをしてくる人は敵であり、私たちはその人たちから自身を、何としてでも守らなくてはなりません。
仕事場でも同じことです。
いい上司に見えても私たちに危害を加える人を許すわけにはいきません。



振り返ってみると、母親は私のことを見下して安心していたんだと思います。
本当、母親失格ですよね。
自分の子供を操り人形のように操り、
精神的にズタズタにし、
そして何かがあればその子供のせいにする。
本当、最悪の母親だったと思います。
せめて暴力を振るわれていれば、私も児童相談所に行くことができ、
母親からもっと早く離脱できていたのに。
母親は目に見える暴力は振るわず、代わりに精神的な攻撃を絶え間なく執拗に続けました。
母親は、あらゆる意味で、最低の母親でした。
母親が今地獄で苦しんでいることを心から祈っています。
母親が、自分の犯した罪の重大さを心から悔いることができるように、
地獄でちゃんと刑期を全うしてほしいと思います。
おそらく何千年とかいう単位だとは思うのですが。
どこかのサイトで読んだのですが、
今自殺すればいいという考えは、来世でもうまくいかなければ自殺すればいいという考えを意味します。
もちろん来世の有無に関しては私は何もいえませんが、
もし人生がある意味でのテストだったら、私たちはクリアしない限り解放されないと思うんですよね。
今世でクリアできなければ来世で、
来世でクリアできなければその先で。
ずっと意味のないことを永遠と繰り返すことになります。
母親は、未来の私の成し遂げたことをみる権利を全て放棄したのです。
それは私のせいではありません。
彼女が自分で行ったことです。
誰かが彼女に手をかけたわけではありません。
彼女は大変愚かなことをしたと思います。
私が今、翻訳でお金をもらえているとか、
授業でも優秀な成績をおさめているとか、
インターンシップも決まっているとか、
将来大学の先生になれるかもしれないとか、
そういうことを全く知らずに、「この子は失敗作だ」と見限って彼女は死んだのです。
そんな母親のために私の将来を見せてあげる気はさらさらありませんけどね。
私は母親から生まれたかもしれませんが、
私はあらゆる意味で母親の何倍も優れた人間です。
少なくとも無責任に子供を産み、子供を精神的に虐待するようなことは私は決して、しません。
私はちゃんと、自分の人生に責任を持ちます。
私は決して、子供を産み、その子に寄りかかってやろうだなんて、
そんな無責任で下劣なことはしません。
私は死ぬときは一人で死にます。
子供は産まないので、子供に迷惑をかけることもありません。
私は正直言って母親には勿体無すぎるぐらい才能のある、優秀な子供だったのです。
母親がこんなゴミクズだから私は可能性を限定されてしまったのです。
でもそれはもう仕方ありません。
これからの可能性はまだまだ残されています。
幸せになるチャンスはいくらでもあります。
私はもう母親のために生きるのではありません。
私はこれからの人生の全てを自分のために捧げます。
自分のためだったら人殺しだって厭いません。
自分という存在の、メッセージを伝えるためなら、死刑囚にだってなります。
自分の話を、世界に聞かせてやります。
私を無視できなくしてやります。
耳をひっ掴んで叫んでやります。
私は、存在するんだと。
私は、生きてるんだと。