母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

知足について(2)

整形アイドルという人がやっているYouTubeチャンネルの動画を見ていました。
「頬の脂肪吸引のついでに安かったからリフトアップの糸を顔の中に入れてもらった」と嬉々として話していたのが印象的でした。
私は、整形を否定する気はありません。
彼女は、いろいろなことを考えた上でハイリスクを伴う美容整形の施術に踏み切ったと言っていました。
彼女にとって、彼女の顔はすごく大事なものだから、
間違っているパーツを正したいという考えなんでしょう。
病気になった時に病院に行くのと同じロジックです。
ただ、病気と違って単に「容姿が悪い」ということは、決して「完治」することはないと思うんです。
病気の症状は客観的なものさしで測れるのに対して、美しさというのは主観的なので、「もうこれで十分」といつか言えるようにならないといけないのです。
「もうこれで十分」と言えない人は、整形に整形を重ねるようになってしまいます。
しかしこれは、ある意味宿命でもあるのかなと思いました。
だって、整形前の時点で「これで十分」と言えない人は、
どんな顔でも「これで十分」と言えない気がするのです。
例えば、「自分が二重だったらよかったのに」と思っている人が二重になる整形をしたとします。
それで満足できればいいのですが、今度は「鼻が低いのが嫌だな」と考え始めるかもしれません。
そこでまた鼻を整形して。
今度は「頬に肉がついているのが気になるな」と思い始め、
頬を整形します。
このように、一つの欠点が直されれば、今まで気にならなかったところが気になりだしてくる。
結局顔のありとあらゆるところを直さなければ気が済まなくなってくる。
もちろん整形をする人が全員こうなるとは言えませんが、少なくとも自分が整形をしたら、このような状況に陥ってしまうのではないかと思います。
不完全な顔であることは整形前も整形後も同じです。
問題はそれを受け入れる心境になれるかどうかだと思います。
整形は、「完全な顔」を作り出すことはできません。


人生も、これと同じです。
「高学歴だったらいいのに」と考えた人が、高学歴と言われる大学を卒業できたとします。
この人は、今度は、「もっとお金持ちだったらいいのに」と考えます。
そして年収の高い会社に入社します。
しかし、仕事はかなり激務で、そのうえ上司からのプレッシャーがひどく、今度は「もっと自由だったらいいのに」と考えます。
その人は会社を辞め、自分の働きたいように働くために起業することにします。
しかしその人は仕事を一からつくり出さなくてはならないため、追い求めていた自由は最初の数年間はままなりません。
むしろもっと忙しいぐらいで、その上給料も減ってしまいます。
その人が頑張って、なんとか会社を軌道に乗らせたとします。
その時点でその人はもう40歳です。
未だに忙しいけど、給料は申し分ないし、時々旅行にも行けるようになります。
しかし今度はかつての同期の子供がもう中学に上がったとか、そういう話が耳に入るようになります。
「家庭を持ちたいなあ」とその人は思い始めます。
今度は婚活にも力を入れる必要がありますが、すでに40歳になったこの人と結婚してくれる人はなかなかいません。
40歳の女性ならもっと難しいですが、40歳の男性だとしても若くて、綺麗で、なおかつ頭が良くて優しいお相手なんてのは見つけるのは至難の技です。
しかしまあ運よくすぐ見つかって結婚をして子供をもうけたとしましょう。
子供が小学生になった時にはすでに46。
中学生に上がる時点では52歳。
大学に上がるときはもう58歳です。
大手企業勤めから起業する人の人生は、全てがうまく行ったと仮定して、大抵こんな感じです。
こう書き出してみると、人生のほとんどの年数を、人生を改善するために費やしていることがわかります。
結局はほぼ死ぬまで、人生に満足することはできないでしょう。
それは必ずしも悪いことではないのかもしれません。
「常に何かに向かって努力していたい」と思う人もいると思うし、
それはいい心がけだと思います。
私もそういうところはあると思います。
しかし、これって結局なんのためなんでしょうか。
成功を追い求めるのはなんのためなんでしょうか。
もちろん、幸せになるためですよね。
この人は、果たして幸せだったのでしょうか。
多分、幸せだったとしても、それをあまり感じることができず、
「次こそは」と考え、闇雲に突き進んだだけじゃないでしょうか。
整形が完全な顔を作れないのと同じように、
成功も完璧な人生を作ることはできません。
成功を追い求める人は、結局は成功する前と同じように、
今あるものに満足できないのです。
一つ成功すれば次の成功が欲しくなり、
それを延々と続けて行ってしまう。


この人の比較対象として、
「足るを知る」ことを実践できているフリーターがいたとしましょう。
この人は人生ずっとバイト生活で、
贅沢もせず細々と生きてきたとします。
しかしこの人は現状に満足することを知っていて、
死ぬときは今までいい人生だったなあと思えるわけです。
もちろん人は死んでしまえば、その人の人生が成功に満ちていたか、それともパッとしないものだったかなんて、全く関係なくなるわけです。
この人の頭を悩ませていたのは100億円のM&Aだったのか、
それとも一週間を千円で乗り切る方法だったのかなんて、
全く関係ないわけです。
前者のビジネスマンが「あのときは大変だったよなー」と笑うのと、
後者のフリーターが「あのときは大変だったよなー」と笑うのとは
個人の頑張った体験としては全く同質です。


結局は、成功に向けて努力するにもしないにしても、
それに満足できるっていうのが一番大事なんだと思います。
どうせ満足できないのに成功を求めたってしょうがないし、
逆に今のままで満足の人なら成功を求める必要がありません。
「現状維持は後退だ!」と考えるビジネスマンも多いみたいですが、
それは逆に「現状に満足してはいけない!」っていう意味ですよね。
それってどうなんでしょうか。
私たち、満足するために努力してるんじゃないんですかって笑
「足るを知る」っていうのは資本主義社会では全く歓迎されない考え方だと思いますね。
でも「足るを知る」ことを肯定しない社会の方がおかしいんじゃないでしょうか。
常に進歩を要求する社会。
それが原子爆弾を生み出し、
精神病を生み出し、
自殺を生み出し、
テロリズムを生み出したのです。
進歩じゃなくて、現状維持を掲げてる社会っていうのはないんですかね。
そっちの方がよっぽど健康的だと思いますが。


(追記:私は、決して社会主義を肯定しているわけではありません。社会主義は明らかに後退だと思うので。あくまで現状維持を私は支持しています)