母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

母親の死

私はそもそも、母親が死んだことが悪かったのか、よかったのかすら、心の整理がついてなくてわかりません。
そこで良かった点と悪かった点を書き出していこうと思います。
良かった点:
- 遺産が手に入り、生活の心配を今の所はしなくて済むようになった。
- 母親の精神的攻撃に苦しめられる必要がなくなり、前と比べて平和な毎日を送れるようになり、精神的に落ち着いた。そのためか効率性が上がり、大学での成績が向上した。


悪かった点:
- 母親のしたことに対する賠償を請求できなくなった。
- 母親と和解するチャンスを永久に失った。
- 母親が死んだことで、父親の今までの、そして現在の不甲斐なさが浮き彫りになり、父親の価値も下がってしまった。そのことによって余計に孤独を感じるようになった。
- 母親が死んだことによって、「他の人にはわかってもらえない」という一線が強化され、他人がつまらなく見えるようになり、結果として友人を失った。
- たった一人の友人の家族がめたらやたらと心配してくるようになり、家に呼ばれることが多くなり、結果として気まずい時間をより多く過ごさなくてはならないようになった。(これは自分が断ればいいのか)


こうして書き出してみると、母親が死んだことはいい結果より悪い結果を多くもたらしたことがわかりました。これらは「母親が死んで悲しい」などといった一次的な被害ではなく、母親が死んだことによって私の中での可能性が狭まってしまった、もしくは不都合なことに気付かされたという二次的な被害であることがわかります。
私が母親に「自殺しろ!」と言い放った時には全く想定していなかった被害でした。
しかし、この結果を好意的にとらえるとすればどうなるでしょうか。


父親の価値も下がった
→母親との関係とは違った、健康的でお互いに非依存的な関係が築けている。


他人がつまらなく見えるようになり、友人を失った
→ 単に気を紛らわすための友人の必要がなくなったということ。父と同じように、人に依存するという関係性から抜け出せている証拠。友達を作ろうと思えばいつだって作れるし、現在は人間関係でのトラブルにも悩まされておらず、いたって身軽である。友人がいないことで特に困ってはない。いつだって私は一人で努力してきたし、一人でやれる範囲での人生で私はなんの不満もない。


友人の家に呼ばれると気まずい
→「気まずさ」をちゃんと認識できているいい証拠。さらなる脱・依存を目指すためにも、誘いを断ることも必要だ。


こうしてみてみると、私はある見方によれば孤立へと近づいているわけですが、一方では独立心を持ち、依存関係を脱するステージにあるとも言えます。
これがいいことなのか悪いことなのかは、人によると思います。
私は、どっちかというといいことだと思います。
社会人になってからは誰だって友達なんて減る一方だと思います。
仕事の付き合いは増えたとしても。
今いる友達も、大学を卒業して就職する際には地方で働くことになって離れ離れになるかもしれません。
なので孤独に今のうちから耐性を持ち、一人でも楽しめる人生設計を行うことが重要です。


「とてもじゃないけどそうとは思えなくても、
誰よりも宇宙はあなたを愛しているし、
あなたのすべてを理解しているし、
どの瞬間もあなたを導いてくれています。」
と大木ゆきのさんのブログではありましたが、
私はこのことを真面目に考えてみました。
本当に私は宇宙に愛されているのか。
大木さんのいうように、宇宙のやることに間違いはないのか。
正確には、「宇宙のやることに間違いはない、自分は愛されている」と信じることで得られるポジティブな態度が、人生に好影響を与えるということでしょう。
これは間違いないと思いますね。
ネガティブよりはポジティブ思考の方がいいに決まってますよね。
そこで宇宙のやることに間違いはないと考えてみることにします。
母親が死んだのは宇宙の意思だったわけです。
母親は、私の0歳から19歳までのステージを担当した悪役だったわけです。
それを私が無事クリアできたことで、私は数え切れないほどの能力を手に入れ、
まるで本当のゲームのように経験値とお金を手に入れたわけです。
宇宙は私が母親の償いを求める必要も、母親と和解する必要もないと判断したのです。
これははっきり言ってすごく私にとって楽です。
母親に償いを求めるのも、母親と和解するのも、どっちも非常に難しいことです。
特に、償いがされなければ、和解はできないというスタンスが私にあることから、
おそらく両方とも無理だったのではないかと思います。
だって、母親が償いをしようとするわけがないし、償いをしようとしたって無理だからです。
時間は巻き戻りません。
母親は私を完全にズタズタにしたわけです。「死んだ方がマシだ」と16歳の私に思わせ、自殺に追い込んだわけです。
それはもう戻せません。
考えれば考えるほど、母親が死んだというのは極めて合理的な物事の進行の一部だったような気がしてきます。
彼女のもつ償いと和解の可能性というのは、最初から実質0だったので、
それ以外に価値を持たない彼女は私の人生において全く役立たずなわけです。
私が彼女の死を悲しく思えない理由がやっとわかりました。
宇宙は、彼女が私を二回にわたる自殺に追い込んだのをみかねて、
「この人の存在は害悪だ」とはっきりと認識し、私の人生から取り除いてくれたのです。
考えてみれば、私は彼女が生きていた時は、常に彼女に対する怒りと恐怖をくすぶらせ、
非常にしんどかったのです。
でも母親が死んでみれば、怒りのやり場はなくなり、
常に怒りの感情を持っているということもなくなりました。
もちろん私の過去は取り戻せませんし、過去の理不尽さに対する怒りはあります。
しかし、私が「理不尽」と感じることも、実は宇宙の計画だったのかもしれません。
私が「理不尽」と感じたことは、私が自分の頭で考えている証拠です。
「こんなことは正しくない」という社会の観察ができたことになります。
これらの観察を通して、私は自分が理不尽を感じることが少ない仕事を探したりとか、日本や世界の理不尽を少なくするために何かしらの努力をするとか、そういうことを考えられるようになりました。
ストレスが私の原動力になっているのかもしれませんね。
大木さんは、「好きなようにやって、あとは宇宙に成り行きを任せればいい」と言っていました。
なので私は気が向くこと、やりたいことをやって生きていこうと思います。
大学院までは進んでみるか、いい会社が見つかったらそこに就職しようかというのは、
卒業するときに考えようと思います。