母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

無題

今日あの心配してた1dayインターンに行ってきました。
何も心配する必要はありませんでした。
普通に終わりました。
今日は、私の心を楽にしてくれる学者や作家の言葉を紹介します。
私は名言は嫌いですが、これらは名言というよりは意見や事実の列挙なので、ノーカン扱いにします。


Daniel M. Gilbert
「精神的に健康な人は総じて、自分が状況をコントロールできる力を誇大して考えている。自分のコントロールできる物事の範囲を正確に把握しているのは重度のうつ病患者だけだ。」


「想像と、現実世界の知覚は同じ場所で行われている。だからそれらのうちどっちが回っているのか判別するのが難しく、混同することが多い。
私たちが未来に感じるだろうと想像している感情は、実際は現在感じているものである」


ギルバート氏はアメリカの心理学の教授ですが、彼のTEDでの公演を見て私は好きになりました。
ユーモアがあって、とてもチャーミングな方に見えました。
私たちが精神的に健康でいられるのは、実際はコントロールできていない現実をさもコントロールできているかのように錯覚するからなのです。
これってなんか、とても人間らしいですよね。
ありのままを見てしまえば、重度のうつ病に陥ってしまうほど現実はままならない。
この壮大なドッキリを自分の力でコントロールできているという妄想だけで生きている存在が人間なのです。
この妄想がなければうつ病になって死んでしまいます。
逆に現実を正確に捉えられてるのは、うつ病患者ぐらいなんです。
そう思うと、うつ病の方が普通というか、正常なんじゃないでしょうか。
私たちが「健康」としているものは、実際は非論理的な思い込みと妄想で成り立っています。
人間はこの点で根本的に狂っているとも言えるでしょう。


Viktor Frankl 
「人生の意味を誰かに問うのは、チェスの世界チャンピオンに、『世界で最も良い動きを教えてください』と言うのと同じようなものだ。
最も良い動き、もっといえば良い動きなんていうものはある特定の試合、そして対戦相手の性格を離れては存在しない。人間の存在もまた然り。人間は人生の抽象的な意味を探すべきではない。人はそれぞれ、遂行が求められている課題を確実に任されている。
そのため、人の人生は代替のきくものではないし、また繰り返すこともできない」


この方はアウシュヴィッツの生存者です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
彼の言葉には重みがありますね。
都市に住んでいると、人が多すぎて、
人一人が非常に希薄で取るに足らないものに見えます。
今日電車の中で、乗客の似通った顔や体の並びを眺めていました。
みんななんてそっくりなんだろう。
何人かいる外国人観光客の大きな体と型破りな髪型が、まるでシュールな漫画のキャラクターみたいに見える。
日本人ってなんてそっくりなんだろう。
代替のいくらでもきく、工場の製品みたいに見えました。
別に外国人は見かけが型破りだから代替がきかないと言っているのではありません。
顔や形の多様性がいいとも思いません。
しかし、「あなたはかけがえのない存在だ」と言われるのがなんて意外なことか。
私はまるで自分が工場で形成されたような気がしていました。
何千もの小さな檻が並べられた鶏農場みたいなところで育ったような気がしていました。
人間社会はそういうところだと思います。
どうやったら、この何千も何万も続く夥しい檻の並びから脱出し緑の芝生を踏めるのか。
そもそも緑の芝生なんてあるのか。
ほんとうは外には何にもないのではないか。
緑の芝生を夢見て努力をしても、
結局は檻から出られない。
自由の恐怖は太陽の元にいつもある。
私たちは檻の中でしか生きられないんじゃないの。
フランクル氏は、「課題」があると信じている。
人生はかけがえのないものだと信じている。
アウシュヴィッツ生存者がそういえるのに、
なんで私はそう思えないんでしょうか。
やっぱり殺されそうにならないと、人生はありがたく思えないんでしょうか。
私は、今殺されても、いいと思ってます。
目出し帽をかぶった男に腹をぐさっと刺されて死にたいです。
今まで、アホみたいな、バカバカしい人生だったなあと、振り返って死にたいですね。
以上、まとまりのない文章で申し訳ありません。
今日は気分が暗かったのでちょっと明るくしたいと思ったのですが。
そういえば、もうすぐお盆ですね。
私は儀式をして先祖の霊を呼ぶとか、そういうのはめんどくさくてやりませんが。
今日はちょっと暑かったなあ。