母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

デート

昨日は、男性とデートに行きました。
彼とは何回かデートに行ったことがあったのですが、今回初めて手をつなぎました。
彼の方から手を繋いできました。
とても暑い日でしたが、半分ぐらいの時間は手を繋いでいました。
自分と手をつなぎたいと思ってくれるなんて嬉しかったです。
彼も手を繋いでいると幸せだと、言ってくれました。
なんか、感慨深いものがありましたね。
こんな自分が他人に幸福を供給できるなんて、とても考えられなかったのです。
今まで何人かと交際してきましたが、その度に驚かされてきました。
しかし今回は特に、びっくりしました。
私は今まで高校2年から大学2年まであまり長い間を空けることなく(せいぜい3〜4ヶ月)、彼氏がいました。
彼氏でなくても、仲のいい男性はほぼいつも誰かしらいました(肉体関係はありませんでしたが)。
しかし今は前の彼氏と別れてからもう八ヶ月ぐらい経っています。
はたから見ればこれは長い期間じゃないのかもしれませんが、
私にとって八ヶ月はかなり長く感じました。
この間に、私は短期留学に行ったし、
春学期も終わってしまいました。
その上一人旅にも出かけました。
彼氏なしで過ごした大学生活はこれが初めてでした。
彼氏がいなかったからこそ、長い間海外に行ったり、旅行に一人で行ったりできたわけです。
それはそれで充実していたように思います。
学業に専念できたし、自分の将来を自分のためだけに考えることができました。
今まで彼氏ができると、すぐ結婚を考えてしまい(実際は数ヶ月で破局するのですが)
彼氏との生活を優先した将来設計を立ててしまいがちでした。
彼氏と一緒に住みたいから、東京に居られる仕事に就こうとか。
しかし彼氏がいない間、私はすっかり一人に慣れてしまい、
自分を第一に考えた将来設計をしていました。
だから無責任に、人を殺して死刑囚になってやるとか考えていたのです。
彼氏がいたらとてもそんなことはできません。
自分が人を殺したら失望し悲しむ人がいるので。
もちろん父親も失望し悲しむでしょうが、父はその原因の一つでもあるので、
父が頭ごなしに私を責めたてることはできないはずです。
なので全く関係のない第三者がいることによって、自分についてある程度の客観性を持てるようになります。
そして今回のケースは彼が私に好意を持っているのか確信が持てず、
「友達が欲しいだけなのかな」と思っていただけに、
好意の意思表示をしてくれたことが嬉しかったです。
孤独のために、私は味方をしてくれない社会を恨み、復讐心をつのらせていました。
しかしたった一人の男性が自分を好いてくれるだけで、
これほど嬉しく、余裕を持てるのには驚きます。
あの秋葉原無差別殺傷事件の犯人に、必要だったのは恋人ではないでしょうか。
テロリズム行為の9割は、犯人に普通の恋人がいたら防げたのではないかと思うぐらいです。
社会に復讐するより大事なことがあれば、普通人はそっちに行くはずなんです。
社会に復讐することが第一優先にある人は、何も失うものがない人なんです。
いわゆる「無敵の人」です。
私は自分も「無敵の人」予備軍だと考えていました。
でもこの「無敵の人」状態を脱するには、別に社会的ステータスは必要なくて、
ただ、恋人一人できればよかったんです。
これは盲点でした。
やっぱり交際していない期間が長いと、
自分が幸せにできる人がいることを忘れてしまいます。
でも今まで散々憎悪してきた自分を、誰かが好きになってくれるなんて、手を繋いで嬉しいと思ってくれるなんて、ちょっと理解できないですね。
とても嬉しいことではあるんですが。
この人を私が好きかというと、まあ嫌いではないという感じです。
嫌うところがないというか。
気も合うし、いい人だとは思います。
燃えるような恋ではありませんが、その方が健康だと思います。
彼も別に私に燃えるような恋心を抱いてるわけじゃないと思います。
この程度がちょうどいいと思いますね。
燃えるように情熱的な恋って冷静に考えると滑稽だと思うし、何かとめんどくさいので。
孤独ってやっぱり有害だったんですね。
喫煙より人体に有害だという話もありました。
身を以てよくわかりました。
今度ゼミの女性の友人を映画に誘ってみようかな。
孤独を脱せると、余裕ができて、反社会的な行動に出なくて済む。
それだけでも十分人と接する価値はありますね。