母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

寂しい

今日振られて帰ってきました。
悲しいです。
今日会ったばっかりなのに、すごく好きになってしまった人だったので、振られてしまいとても悲しかったです。
今聴いているのは「翼をください」です。


かなしみのない自由な空へ
翼はためかせ行きたい


単純すぎますか?
滑稽ですか?私。
今いる彼氏(のような人)にも言わず、デートに行ってしまいました。
それで振られて帰ってきました。
自分は最悪の人間です。
今いる彼氏のような人に、「恋人にしてくれないなら別れたい」という内容のメールを出しました。
私は本当は寂しくて寂しくてたまらないんですけど。
必要とされたい。必要とされないのは辛すぎる。
必要とされれば、私はどんなことだってする。
デート代全部負担したっていいし、
病気なら医療費も払える範囲で払う。
ただ、私を愛してくれれば。
母親の気持ちが今よくわかります。
母親は私に必要とされることで、どんな苦行も耐えられると、思っていたのでしょう。
実際に多くの苦行を彼女は耐え切ってきました。
でも私は彼女が必要なくなり、
彼女は支えを失いました。
それで自殺したのです。
簡単なことですね。考えてみれば。
私は、この人に必要とされなくなったら、自殺するような、
そんな依存関係は築きたくないです。
でも、必要とされたい。
そうじゃないと自分の人生に意味があると思えないから。
セックスしたいのかな。
寂しいだけ?
人が寂しさを感じるのって、生殖行為へと駆り立てるためなのかな。
もちろん集団から外れることは死を意味したからでもあるんだけど。
セックスすると必要とされてるような錯覚を覚える。
でもあくまで錯覚だから終わった後は悲しい。寂しさが戻ってくる。
結局は人間は寂しさの埋め合わせに追われてるだけなんじゃないかと思います。
なくしたパズルのピースを追い求める手段として成功を求める。
それが自分を完全にしてくれて、寂しさから救ってくれると思い込んでいるから。
考えてみると、何かを追い求める人間っていうのは裏を返せば満たされていない人間ということですよね。
満たされたいがために、人はセックス中毒になり、拒食症になり、過食症になり、買い物中毒になり、ドラッグやアルコール依存に陥り、浮気をし、勉強をし、大学受験をし、昇進を目指す。
これら上記の全ては、満たされた人間は絶対にしません。
人間の世界って人の欲求不満で成り立ってるんですね。
足りないものを求める餓鬼の世界。
この世はまさに地獄ではないでしょうか。
まあ受け取り方次第ですね。
人生の一瞬のきらめきを大事にするのか、
それともその儚さを嘆くのか。
この一瞬を私は一生追い求めなければならないのでしょうか。
この社会で前向きに生きていくということは、この一瞬を求める奴隷になるということですね。
いやいや。