母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

愛があれば

他の自死遺族のブログを見ていると、ほとんどは子供を失ったお母さんによって書かれたものですね。
ある方は、チャネリングを試してみて、「息子は天国のこのステージにいる」という情報を得ていました。
藁にもすがる思いなのでしょうか。
私は死後の世界の存在を信じてはいないし、唯一信じられそうなのは地獄だけで、天国は全く信じていません。
母親のことを美化できないからでしょうか。
子供のことはいくらでも美化できる気がしますが。
親にとって、子供は可愛くて、人生の全てだというところもあるようです。
まだ10代20代の子供を亡くした母親の悲しみは言い表せないものでしょう。
だからせめて、死後の世界では元気でいてほしいと思うのでしょうか。
私にはまだ、母親の死後のウェルビーイングを願えるほどの余裕がありません。
地獄で苦しめ。
私に一生癒えない傷を負わせておいて、死後に幸せになろうったって虫が良すぎるんだよ。
地獄で焼かれろ。
親は子供に何かをされても許せるかもしれませんが、
子供は親にされたことを許せません。
親ってわかるじゃないですか。子供のこと。
お腹にいた時からその子供のことを知ってるんですよ。
だからひどいこと言われても、本気で言ってるわけじゃないよね、とか、
多分加減がわかるんですよ。
でも子供は親のことなんてほとんど知らない。
だから子が親にとって他人である以上に、
親は子にとって他人なんです。
だから、親にひどいことをされるということは、
身内にされるというより怖い他人にされるという感じがするんです。
だから余計に信頼できない。
ひどいこと言ったって所詮親子だから、と言えるのは親だけなんです。
子供は、親が本当はどんな冷酷で恐ろしい人間だかわかんないんです。
だからひどいことを、恐ろしいことをされたら、「お母さんってこういう人なんだ」と納得してしまうわけです。
だから私は母親を愛せなかったのです。
母親はひどいことをする人間であり、死んだほうがマシなんだと、本気で思っていましたし、今でも思っています。
もしかしたら母親は私といる時以外は立派な人間だったかもしれません。
でも私はその一面を知りません。
母親なのに一番汚い、卑怯で姑息なところしか見てこれませんでした。
悲しいですね。
私は昨日から今日にかけて気づいたことがあって、
それは人生における成功の問題は、
実際は全く成功や結果は関係なくて、
全ては愛されないことが問題だったんだと、私ははっきりとわかりました。
愛し、愛されることができれば、
心の中の寂しさを解消できるわけです。
成功を追い求めるのは心の中の寂しさを解消しようとするからです。
成功して、社会に認められたい。
周りの人に認められたい。
それは承認欲求以外の何でもありません。
しかし成功は、あくまで愛の媒体、きっかけでしかありません。
成功していても、認められない場合だってあります。
逆に成功していなくても、愛される場合だってあります。
だから職場においては職種や年収の全てを差し置いて、人間関係が一番大事なのです。
やっぱり人が一番求めているのは愛ですから。
愛があれば、おそらくなんだって耐えられるんです。
人間は社会的な動物なので。
私は成功を求めても、結局はそれは愛を求めることに他ならないのだと、
これからは意識しようと思います。