母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

第一回精神分析

私は醜い人が死ぬほど嫌いです。
積極的に憎悪するぐらい嫌いです。
もちろん、絶世の美男美女じゃないとダメってわけじゃないです。
たいていの人は普通だと思っています。
ただ、私の中で許せないほどのブサイクっているんです。
なんでこんなに人を見かけだけで憎悪できるのか、自分でもわかりません。
でも自分の中で「醜い」と判断した人は、死ぬほど嫌いになります。
なんなんでしょうか。なんで醜いってこんなに嫌なんですかね。


おそらく、自分の嫌なところを目の当たりにするからなんじゃないかと思います。
例えば、ある人が太っていて、自分も太っていると考えていたら、
無意識に自分が太っていることに対する劣等感を投影してしまい、自分に向けるはずの嫌悪をその人のせいにしてしまうという感じだと思います。
考えてみると色黒とかニキビとか、自分が共通して持たない特徴は特に醜いと思わないですね。
嫌いなのは決まって太っている特徴と顔がブサイクな特徴です。
太っている自分とブサイクな自分が嫌いだからです。
私は最近5キロほど痩せて、昔彼氏がいた時の体重に戻りました。
その時は「細い」と言われていたので、今は本当は愛される価値のある体なんです。
ただ、相手がいなくて。
いるんですが、あまり頻繁には会えなくて。
また鏡に映る自分の顔は嫌いじゃありません。
でも私は一重だし、鼻もあまり高くはないし、ブサイクの範囲に入るかもしれないという恐怖は常にあります。
だから、この嫌悪を克服するためには、
「自分は細い」「自分はきれい」という風に真剣に思えるようにならないといけないんです。
さらに5キロ痩せれば「自分は細い」と思うことは可能かもしれません。
「自分はきれい」と思うにはもう整形するしかないと思います。
でも整形は本当の意味で成功する確率が極めて低いので、あまり手を出したくありません。
また、私の顔は完璧じゃありませんが、欠点も個性だと思いたいところはあります。
欠点があっても愛せる顔ってあるじゃないですか。
私はそういうのはすごく魅力的だと思うんです。
全て均一化された、普通の美人よりも。
たとえば栗山千明さんはエラをおそらく整形されたと思うんですが、
私はエラの張っていた時の栗山さんの方が好きです。
個性があって。
私には美しくありたいという願望とは別に、特別でありたいという願望があります。
均一化された普通の美人にはなりたくありません。
なぜかというと、それはいくらでも代替がきくということだからです。
私は代替の効かない存在になりたいという願望があります。
前回「自分は特別な人間じゃないんだ」って書きましたが、
私は特別な人間になりたいんです。どうしても。
これはもう遺伝子レベルで、生き物がもつ願望なんじゃないかと思います。
ライバルと差別化しないと、子孫を残すことはできません。
なのでその差別化に役立つ欠点なら、必ずしも悪いものではないのかもしれないです。
実際に一重が好きな人もいるし、高い鼻が苦手な人もいます。
だから私は整形はしたくないと心のどこかで思っています。
それは自分のもつ特性を捨てることになるからです。
たとえブサイクだと思われても、それを評価してくれる人がいる可能性がある限り、私はそれを捨てたくありません。
以上、第一回精神分析でした。
今後も自分のサイキに深く潜り込んでいく、セルフ精神分析をやっていこうと思います。