母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

頑張らない方法

私が今日思ったのは、
今まで良かれと思ってやってきたことが全て裏目に出ているということです。
自分が傷つかないために父親に連絡せず一人で母親からの虐待に耐えた結果、父親は腹違いの妹を二人ももうけてしまった。
精神病院を出て受験勉強を頑張ったけど結局意味はなく、専門学校や短大にいっても結果はおそらく同じだった。
今やっていることにもおそらく、意味はない。
それではなんで頑張ってるのかというと、もう頑張る癖がついているからとしか言いようがありません。
私は0から10の強度で言ったら強度6ぐらいの頑張りを続ける癖があります。
だから一年生以降は単位は全く落としてませんし、
欠席もほぼしていません。
ただ強度6より上の頑張りはよっぽどのことじゃないとできません。
前やった戯曲の翻訳は、強度10で頑張りましたが、それぐらいです。
タイムリミットがあり、なおかつそれをやり遂げる強い理由があれば10の頑張りを出せるのですが。
今までずっと、何かをやり遂げる強い理由がなかったと言うのが一番の敗因でしょう
(私は自分の人生がもう終わっていると言う体で書きます)。
私はこれからもその理由なんて見つからずに、
ただただ自分と他人を憎んで死んでいくんだと思います。
私は父親のことも憎んでいます。
もう、できれば会いたくありません。
消えるようにして、転勤か何かで、もうあわなくて済むようになりたいです。
結局父親と私は本質的に同じ人間であり、私が答えを見つけられない問いに父が答えられるわけがないのです。
じゃーなんで会うのかと言うと、
やっぱり強度6で頑張る癖と、説明するのが面倒ということが理由です。
私は自分の思う以上に慣性で働いているところがあります。
一種の自動対応。
それを頑張りと言えるのでしょうか。
しかしやはりしんどいので、やっぱり頑張ってはいるんだなとは思います。
でもなんのために。
理由はありません。
私は全く頑張る理由もないのに頑張る慣性の奴隷です。
いや、理由はあるといえばありますが、全く強い理由ではありません。
今の頑張る理由といえば、単位をもらって卒業をして就職をすると言うだけです。
でもこれが裏目に出て、
留年・留学した方が良かったとか、就職先が悪くて自殺してしまったとか、
そういうことになるのかもしれません。
これが頑張っていいところに就職してお金をいっぱいもらって死ぬほど欲しい何かを手に入れるんだ!!!って言う動機があったら頑張れるんでしょうけど。
私は母親の遺産に手をつけなければもう貯金なんて一般家庭並みにはあるし、
マイホームは都心にあるし(祖母が死んでも追い出されることはないと思います)、
すごく欲しいものなんて何にもありません。
ちょっと欲しいレベルのものだったらありますが、もうこれ以上ものを増やしたくないという欲求が勝ってしまい、買いたくありません。


私に頑張るための強い理由がない理由は、
頑張ってもどうせ無理だという気持ちがあるからです。
これはこう育てられたものなので、変えることはできません。
今すぐ自殺した方がいいんじゃないかなと思いますね。
冷静に考えて、今すぐ自殺した方が傷つかなくて済む。
そう思いながら16歳からだらだら4年間も生きながらえてしまったのです。
本当、4年間の間によくまあこんなに多くの苦しみを詰め込んだなあと思います。
情けないとしか言いようがありません。
思い切って自殺しやがれ、能無しが。
そういう風に私の中の声が罵倒します。
しかし私の中で、「これほど苦しい思いをしたんなら、これからよくなる可能性もあるんじゃないか」という小さな声がしています。
よくなるって何が。
最悪の事態がもう二十の時点で起きてるのにこれから何がどうよくなるんだよ。
本当に、本当に小さな確率かもしれないけど、
もしかしたら、卒論もまあ普通にかけて、うまく卒業できて、いいところに就職して、奇跡的に職場の雰囲気も悪くないかもしれない。もしかしたら大切にしてもらえるかもしれない。
そうなったら幸せなのか?人生の中で幸せだったことなんて一度もないお前に幸せなんて認知できるのか。
どんな小さなことでもパニックになって死にたいと思うだけじゃないか。
周りの人間がどんなにいい人でも関わりたくないって思うだけなんじゃないの。
今までずっとそうだったじゃん。
なので何をどう頑張っても不幸であるということは確定しています。
ただ頑張らないと、プラスで自責の念という不幸オプションが追加されるので、
それを避けるためだけに私は頑張っているという状態です。
これは10出せないのも無理はないですね。
仕方ないです。
幸せになれないのも仕方ないです。
なんか怒りが湧いてきました。
なんで自責の念を避けるためだけに私は6も頑張らなきゃいけないのか。
私は十分頑張ったんじゃないのか。
この状態で6も出してきたことが奇跡じゃないか。
なんで私が自責の念にかられなきゃいけないのか。
今後やりたくないことは、頑張りをレベル5ぐらいに落とそうと思います。
それに慣れてきたら4、3、2、1と最終的に0に落とし込みます。
頑張らないことがしんどくなるのを防ぐために、
私は今後は頑張らないことを美徳としようと思います。
「頑張らなかったのに意外と大丈夫だった」
「なんとかなった、頑張るのって阿呆らしいじゃん」と思えるようになったらもう一人前だと思います。
授業は気が向かなかったら休むとか、そういう選択肢はありませんでした。
出席する方が、出席しないで次回心配するよりも楽だと考えるからです。
特に私は頼る友達もいないので、出席は死活問題のように感じていました。
だからこの状況を打破するためには友達を作るか、出席しても別のことをやるぐらいしか思いつきません。
あとは出席のゆるい先生の授業だけとるとか。
私はゆるいだけで興味のない授業はとる気がしないのですが、これも選択肢に入れた方がいいかもしれません。