母親を自死で亡くした私のブログ

母親から精神的虐待を長年にわたり受け続けた娘の日記です。母親は2017年5月に自死しました。

僻みっぽい私

先日の記事は物騒なことを書いてすみませんでした。
アクセス数が急に増えていたので、もしかしたらみなさん心配してくれてたのかなと思い、申し訳なく思いました。
今日、発見したことがあります。
もしかしたら、今まで悩んでいたことって、実は自分の性格の問題なんじゃないかという可能性に気づきました。
私は、自分ではあまり意識していませんでしたが、陰険で僻みっぽい性格であることに気づきました。
精神病院ではなんの診断もくだされなかったので、
自分はうつ病でもないし、
この人生で起こったことが異常なんだ、自分は正常なんだと、
信じて疑いませんでした。
しかし、今日あった出来事でその信念が揺らいできました。
今日は祖母と一緒に何回か行ったことのあるレストランに行きました。
そこは個人経営のところで、料理は美味しい代わりに接客態度はあまりよくないです。
私は、そこでメニューをみて注文しましたが、
待っている間に(待ち時間は他のテーブルのカップルが料理を食べ始めて食べ終わるまでの一部始終を観察するに足りました)
自分の頼んだメニューを後悔し始めたのです。
なんであっちにしなかったんだろう、祖母の頼んだやつの方がよっぽどいいじゃないか…
それに加えて、
なんでこんなに料理が出るのが遅いんだと、内心腹を立てていました。
しかし祖母の、「まだ料理のきてない人がこんなにいる」という一言で、
私はハッとさせられました。
そうか、自分たちだけじゃなかったのか。
実際運ばれてきた料理を食べて見ると、まあまあな味でした。
でもその待ち時間の間散々自分の頼んだメニューを頭の中でこき下ろしていたので、そうしなかったらもっと美味しかったのかもしれません。
そして祖母が食べきれない分をくれたので、私が「そっちにすればよかった」と思った選択肢も味わうことができました。
まあまあな味でした。どっちの方がいいとは言い難かったです。
私は自分の選択に自信が持てていません。
また、他人を非論理的なまでに羨み、自分と同じぐらい苦しんでいる人がいることに気がつかない。
そのために自分のした選択が悪くない選択だったとしても、その良さをだいぶ減らしてしまっている。
本来楽しむためのものが逆に辛くなっている。
私の人生もそうなのかもしれないと私は思いました。
この時私はどうすればよかったのかというと、
他にも待っている人がいることを認識した上で、
「まだ頼んだことのないメニューに挑戦してみよう」というその期待感を捨てずに、
待ち時間の間は楽しみにしていればよかったのです。
自分にとってはこれは絶対無理な話ですがね。
なので、こうすることが無理な以上、私はこれを気に病むことなく、
「自分はそういう性格なんだ」と片付け、
決して社会が悪いとか、自分のした選択自体が悪いとか、思わないようにしないといけないなあと思いました。
今の私は、待ち時間の状態なんだと思います。
社会人になって、「今までの努力の結果」という料理が出てくるのを待っている。
その待ち時間の中で私は爪を噛み、自分の頼んだメニューを後悔ばっかりしている。
ただ違いは、後悔をする論理的な理由があるというところですが。
でも、他のメニューが悪い論理的な理由もありました。
結局は、オーダーした当時はわかっていなかったし、
待っている今でも、どっちがよかったのかなんてわかりません。
ただ、自分は僻みっぽい性格だから、自分の選ばなかった方がよかったはずだと信じているだけ。
これはもう、考え方ひとつの問題でしかないんですが、
私は自分の考え方を変えようなんて思ってないし、変えることもできないと諦めています。
私の今後悔していることと、
今後後悔する全ての選択は、
もう言ってしまえば仕方のないことなのです。
僻みっぽい性格をしている以上仕方のないことなのです。
これはメニュー側に非があるのではなく、
私に非があるのです。
それを認めた上で、引き続き後悔をしようと思います。